医学史と社会の対話ー優れた記事の紹介⑬

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科学や医学の研究や医療の現場において、科学者や医師が<女性>であることは、いったいどのような意味を持っているのか。女性の科学者や医師がリーダーシップを取ることは、どのような経路を通って悪くみられるのか。現実の世界だけでなく、演劇 PHOTOGRAPH 51 でも、DNAの構造が解明されるときの女性研究者の「舞台」が描かれています。フェミニズムの文学研究者の若き俊英、北村紗衣先生の記事をお読みください!

日本葬制史と死亡場所

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勝田至編『日本葬制史』(2012) を眺めて、色々と面白い記録をメモ。中江兆民が1901年にガンで没したときに、無神無霊を唱え宗教色を薄くし、火葬を行い、医学発展のために解剖させたという。火葬は1925年には43.2%は火葬であった。しかし、法定伝染病で死んだものの死体を火葬することをさだめた伝染病予防法があり、火葬がある種のネガティヴなイメージを持ったとのこと。

もう一つ人口動態から死亡場所を組み込んでいるデータがあったので、私もネットでデータをみつけてエクセル表をつくっておいた。病院での死亡の増加と自宅での死亡の減少がとってもよくわかる(笑)

医学史と社会の対話ー優れた記事の紹介⑫

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平体由美先生による、アメリカにおける農村地帯がどのように種痘が理解され、人々が理由ある仕方で反対したのかという記事です。昨年には、廣川先生による、種痘がどの動物の身体部分を人体に打つことなのかという、人間と特定の動物の身体の重なりに着目した記事がでました。今回は、種痘の政治的なアスペクトに注目した別方面からのすぐれた記事です! 

一年生・二年生向け一般セミナーを運営する方法

一年生・二年生向け一般セミナーを運営する方法を少し前進させるやりかたをやってみて、結構うまくいったので、メモしておく。

学部生向けの講義、大学院のセミナー、それに一対一のチュートリアルは、私が学生時代に多くを学んだ素晴らしい先生の方法を学んでいる部分があり、それなりに大学教員としてうまいかまあまあの水準だと思う。ひどく下手なのが、一年生・二年生向けの一般セミナーである。何をどうすればよいのかよくわからぬまま、20年くらいの年月が過ぎた。うまくいった年もあるし、とても悲しかった年もある。今年発見した方法は、春学期については、多少の手ごたえを感じることができたので、メモしておく。

 

1. 基本テキストとして、メアリー・ドブソン Diseases を選んだ。英語コースとみなす学生は英語版を、日本語コースで履修できる学生は日本語版を選んだ。
2. ペスト、ハンセン病、梅毒という順番で疾病が30個選ばれ、それぞれの疾病の歴史が一章ずつあてられている。
3. この配列だと、古代から始まって現代にいたるという歴史学の正統的な方法で話が進むという構造が避けられ、それぞれの疾病がエピソードが付け加えられる構造になる。
4. これを1章ずつ、その場で読ませ、重要なポイントを皆でディスカッションし、それをまとめたものを英語で書いてもらう。30分+30分+30分 の配分になる。
5. これを6章実施して、だれもが最初の6章を読んでいるという状態にする。
6. 次に、時間を2回分つかって、皆で読んだ6章の内容をエクセルの表に入力する作業をした。エクセルの項目は私が決めた。以下のような構造である。

 

Table 1: Infectious Diseases and Their Stay in Europe
         
  Arrival Decline Prevention Cure
Plague        
Leprosy        
Syphilis        
AIDS        
Typhus         
Typhoid        
         
Source: Mary Dobson, Disease: The extraordinary Stories behind HIstory's Deadliest Killers (2007)


7. このエクセルの表を Dobson を見ながら挿入していく。本来、もっと議論をしながら挿入するとよかった。
 
8. このエクセルの表に、学生一人が一つの疾病についての章を読み、新たに足していくという形で発展させる。一回だけ行ったので、全部で13個の疾病の表、2回行えば、全部で20個の表についてのエクセル表を共有することになる。我々の表は以下のようになっている。

 

 

  Arrival Decline Prevention Cure
Plague        
Leprosy        
Syphilis        
AIDS        
Typhus         
Typhoid        
Chagas Disease        
Malaria        
Tuberculosis        
African Panosomiasis        
Puerperal Fever        
Cholera        
Encephalitis Lethargica         
         
Mary Dobson, Disease: The Extraordinary Stories behind History's Deadliest Killers (2007) 

 

9. ここまでの過程は、個人でテキストを読んで理解する訓練をするーそれを一覧表にまとめるー他人が読んでいないテキストを共同の表に提供し、自分が読んでいないテキストの他人のよるまとめも自分の表に取り込むという三つの流れを融合させている。

10. これをベースにして、面白いことを発見してプレゼンをしてみた。ドブソンの本は非常にうまく使えたし、表の使い方もうまかった。プレゼンの画像の利用については、私をはるかに凌駕していたというか、自分の画像のプレゼンが悲しいほど下手だということを実感した(笑)

 

医学史のアスペクト、会社などの組織で個人で行う仕事のアスペクト、集団で行う仕事のアスペクト、それを用いて再度個人の仕事をするアスペクトなど、色々な性格の仕事を一つのベースで行わせてみた。

馬憑き、狼憑き、犬憑き、そして狐憑き

 
数日前のOEDの「今日の単語」が hyppanthropy だった。もともとは hyppoanthropia という「ラテン語」であり、ギリシア語の馬を意味する hyppo と人間を意味する anthropos に、ラテン語の ia をつけた言葉である。おそらく18世紀の終わりにつくられたという初期近代医学のラテン語である。ヨーロッパで最初に使ったのかは誰かは書いてないが、フランス語で hippanthropie が最初に用いられたのが1810年、ドイツ語では Hippanthropie が使われたのが1795年、イタリアで ippantropiaが使われたのが 1828 年である。18世紀の末にどこかでラテン語が現れたと書いたのはそういう意味である。単語の意味としては「馬憑き」とでも訳すもので、自分は馬であるという妄想を持っているということ。スィフト『ガリヴァー旅行記』の末尾に登場する、自分は馬だと思い人間は Yahoo というけだものだと思っているガリヴァーが、ある意味でその一つの典型である。スウィフトの作品が hyppanthropy の単語の形成にどの程度影響を与えたのかはわからない。
 
もちろん、18世紀のヨーロッパの医者が自己流の勝手な方法で hyppanthropy という語を作り上げたわけではない。狼憑きを意味する lycanthropy という言葉があり、もともとのギリシア語に 狼憑きを意味する  λυκανθρωπίαという単語がきちんとある。同じように、犬憑きを意味する cynanthropy という語も、もともとのギリシア語に存在した。患者が自分が狼または犬であるかのようにふるまう疾病のことを意味している。これらは16・17世紀に英語となった。それと同じように、馬であるかのようにふるまうことあらわすのに、狼憑き、犬憑きと同じ法則に従って hyppanthropy という語をつくったのである。イギリスで1847年に現れた初出が、狼憑きや犬憑きと並べて馬憑きを出している。
 
つまり、ギリシアにおける概念の形成があり、16世紀・17世紀にルネッサンス宗教改革魔女狩りなどにおいて人々の行為としてこのような概念が再び現れ、18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパの医師たちが人々、ことに地方部の貧しい人々を診察するアサイラムの仕組みができた頃に、狼憑きや犬憑きや馬憑きの概念が使われたことになる。この歴史構造をきちんと把握しておきたい。
 
日本の精神疾患の分析では、この歴史構造が西欧化の流れの中ではうまくいったと考えるべきであろう。日本の狐憑きは、伝統の最後の19世紀が帝国主義版として発展したモードである。だから、西欧医学の<伝統>が重要だったことになる。そこでは、ヨーロッパの過去や周辺部では狼憑き、犬憑き、馬憑きがあったし、日本では狐憑きがあるという流れになった。ヨーロッパやアメリカから来た人々は、日本の狐憑きを発見して、ヨーロッパの過去と同じように、動物に憑かれるものであると考えた。医学ではベルツがそうであるし、文学ではラフカディオ・ハーンがそうである。それを日本人の医学者たちも同じように発見したことが重要である。ただ、実際に症例誌の記録を読むとかなり違うし、狐に関する江戸時代の作品などを読むと、魔女に関するマイルドな態度をとったイギリスの魔女対応のような印象がある。あるいは、狼憑きに関して、ヨーロッパの民話的な主題に存在した werewolf の伝統も似ているだろうと思う。ただ、この部分は、短いパラグラフでメンションするだけなので、どう描くのかまだわかっていない。

18世紀アムステルダムの「ミニチュア薬種商店」の図柄入り書物について

www.rijksmuseumshop.nl

 

アムステルダム国立美術館は一回か二回行ったことがあり、レンブラント『夜警』に感動するという素直な経験をした。その時にこの作品が補修修理作業をしていたのか、この「ミニチュア薬種商店」をかりに展示していたとしても気がつかなかった。医学史や科学史はもちろん、歴史の研究者や医学部や薬学部の大学図書館なども買っておくのがいい。18世紀にミニチュア化された薬種商店を模したタンスである。高さは2メートルを少し超え、幅が1メートル弱、奥行きが74センチというから、立派なタンスである。それが、複雑で手が込んだ無数の扉、棚、標本箱を埋め込むように持っており、そこに数多くの薬剤、植物、鉱物、金属などが小瓶、磁器、標本箱などに入れられている。それらのアイテム数を総合計すると、1,000点は軽く超えているだろう。数千点の薬と薬材が収納されているタンスということになる。
 
これを「ミニチュアの薬種商店」と捉えたことも的確で面白い。初期近代には薬種商店がワンダーランドになった。博物誌の発展、貿易世界の拡大、珍奇で大きなものの展示などが使われ、薬種商店が一つの新しいスペースとなっている。これが、日本の薬屋と少し違う感じがする。手元にあった『目で見るくすりの博物誌』で確認しただけだけれども、江戸時代の薬屋は独自の空間というより、商店の空間に看板や「百味箪笥」という薬剤を入れるタンスなどを置いた商業空間の一つという感じがする。また、日本で医者が往診するときに持ち歩く「薬箱」もあったが、これが「ミニチュア薬屋」かというと、ちょっと違う。薬屋をミニチュアにして薬箱ができるという感じではない。一方では、このアムステルダムの医師がもっていたこのタンスは「ミニチュア薬種商店」と考えていい。
 
本も高さが40センチを超えている大きな立派な本である。果実の標本箱と花の標本箱をしばらく眺めていた。ヨーロッパはもちろん、アフリカ、新大陸など、各地で原生する植物が世界中から集められ、このミニチュア空間に集められている。コーヒーの豆もあるし、キンチョウナもある。その自然の生き方ではありえない世界を経験が作り出す不思議な感覚が、18世紀の医療の一つの推進力であったのだろうか。
 

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青木允夫. 目で見るくすりの博物誌. 第2版 edition, 内藤記念くすり博物館, 2002

1518年夏のストラスブールの心因性舞踏

www.theguardian.com

 

オウム真理教の教祖である麻原彰晃が死刑となった。オウム真理教が大事件を起こしていた時期は、私がイギリスに留学していた時期であるため、私がオウムや麻原について知っていることはとても少ない。TVで観た信者が痙攣するように踊っている光景が妙に記憶に残っている。ガーディアンに掲載された1518年のストラスブールで起きた舞踏病の記事を読みながら、オウム真理教徒たちの踊りはその現象だろうかと漠然と思う。
 
ストラスブール心因性舞踏は話としてはシンプルである。1518年にストラスブールで起きたことは、当初は数人が通りで痙攣的な舞踏をしており、家族や周りの人々が止めても止まらず、そのうちこの舞踏を行う市民が増えて数百人となるという現象である。医師のパラケルススもこれについて著述し、『阿呆船』を書いたセバスティアン・ブラントもこの現象を観ているらしい。これが疾病としては何かという難しい問いを立てて、かつては「マス・ヒステリア」と呼ばれていたもの、現在では 群衆の心因性 (psychogenic) と呼ばれている現象であろうと筆者は書いている。このあたりの説明が、読んでいてよくわからなかったので、彼が書いている本を買ってみた。マス・ヒステリアや社会的な心因性というような、非常に目に入りやすい精神疾患についても知っておかないといけない。