馬憑き、狼憑き、犬憑き、そして狐憑き

 
数日前のOEDの「今日の単語」が hyppanthropy だった。もともとは hyppoanthropia という「ラテン語」であり、ギリシア語の馬を意味する hyppo と人間を意味する anthropos に、ラテン語の ia をつけた言葉である。おそらく18世紀の終わりにつくられたという初期近代医学のラテン語である。ヨーロッパで最初に使ったのかは誰かは書いてないが、フランス語で hippanthropie が最初に用いられたのが1810年、ドイツ語では Hippanthropie が使われたのが1795年、イタリアで ippantropiaが使われたのが 1828 年である。18世紀の末にどこかでラテン語が現れたと書いたのはそういう意味である。単語の意味としては「馬憑き」とでも訳すもので、自分は馬であるという妄想を持っているということ。スィフト『ガリヴァー旅行記』の末尾に登場する、自分は馬だと思い人間は Yahoo というけだものだと思っているガリヴァーが、ある意味でその一つの典型である。スウィフトの作品が hyppanthropy の単語の形成にどの程度影響を与えたのかはわからない。
 
もちろん、18世紀のヨーロッパの医者が自己流の勝手な方法で hyppanthropy という語を作り上げたわけではない。狼憑きを意味する lycanthropy という言葉があり、もともとのギリシア語に 狼憑きを意味する  λυκανθρωπίαという単語がきちんとある。同じように、犬憑きを意味する cynanthropy という語も、もともとのギリシア語に存在した。患者が自分が狼または犬であるかのようにふるまう疾病のことを意味している。これらは16・17世紀に英語となった。それと同じように、馬であるかのようにふるまうことあらわすのに、狼憑き、犬憑きと同じ法則に従って hyppanthropy という語をつくったのである。イギリスで1847年に現れた初出が、狼憑きや犬憑きと並べて馬憑きを出している。
 
つまり、ギリシアにおける概念の形成があり、16世紀・17世紀にルネッサンス宗教改革魔女狩りなどにおいて人々の行為としてこのような概念が再び現れ、18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパの医師たちが人々、ことに地方部の貧しい人々を診察するアサイラムの仕組みができた頃に、狼憑きや犬憑きや馬憑きの概念が使われたことになる。この歴史構造をきちんと把握しておきたい。
 
日本の精神疾患の分析では、この歴史構造が西欧化の流れの中ではうまくいったと考えるべきであろう。日本の狐憑きは、伝統の最後の19世紀が帝国主義版として発展したモードである。だから、西欧医学の<伝統>が重要だったことになる。そこでは、ヨーロッパの過去や周辺部では狼憑き、犬憑き、馬憑きがあったし、日本では狐憑きがあるという流れになった。ヨーロッパやアメリカから来た人々は、日本の狐憑きを発見して、ヨーロッパの過去と同じように、動物に憑かれるものであると考えた。医学ではベルツがそうであるし、文学ではラフカディオ・ハーンがそうである。それを日本人の医学者たちも同じように発見したことが重要である。ただ、実際に症例誌の記録を読むとかなり違うし、狐に関する江戸時代の作品などを読むと、魔女に関するマイルドな態度をとったイギリスの魔女対応のような印象がある。あるいは、狼憑きに関して、ヨーロッパの民話的な主題に存在した werewolf の伝統も似ているだろうと思う。ただ、この部分は、短いパラグラフでメンションするだけなので、どう描くのかまだわかっていない。