アンリ・ミショーのメスカリンII


昨日に続いてミショーの話し。彼がメスカリンを服用した時の実験を記した記述「みじめな奇跡」を読む。小海永二個人全訳の全集が青土社から出ていて、その第三巻に収録されている。手元に置かなければならないテキストだと思って、英訳を注文した。英訳は、シュレーバーの『回想』を出しているのと同じ、New York Review of Books Classicsから出ていて、オクタヴィオ・パスが序文を書いている。

メスカリンを服用してその強烈な効果のもとで書きなぐられたメモをもとに書いた部分、その効果が弱まったときに書いた部分、距離と時間をおいてその効果について考察している部分などが、時間の流れに沿って並べられていて、それぞれがだいぶ違っていて、とても面白い。文章も迫真的で、すさまじいスピードと圧倒的なパワーを持つ「知覚の狂乱」とミショーが呼ぶものが異様な魅力をもって表現されている。これを読むと、ハクスリーの記述(ミショーはハクスリーに言及している)が、小賢しいものに見えてしまうくらいで、ミショーが20世紀のドラッグ文学の古典であるというのもうなづける。ハクスリーのように、どこかの出版社が文庫化してくれるといいのだけれども。小海永二がミスリーディングというわけではないけれども、小海による伝記を読んだときとだいぶ印象が違った。オリジナルを読んでおいてよかった。

すごく豊かなテキストなのだけど、印象に残ったことを一つだけ。ミショーがメスカリンの効果を説明するときの一番基本になるイメージは、「振動」である。まず、その効果はギザギザの波形が左右対称に幹から突き出ている形でイメージされている。そして、この波の周期は非常に短くて、小刻みな連続が繰り返され、これをミショーは「速度」という言葉で表現している。メスカリンが思考にもたらす影響を、短い波長で繰り返される<何か>によってミショーは捉えている。

ここから先は純粋な憶測なのだけれども、この背後には、人間の思考や精神一般の働きを「波」で表現するようになった科学的な表象の様式があるのではないだろうか。たとえば、「脳波」を視覚的に表すことは1920年代に始められた。ミショーの文章には、はしばしに精神の科学、とくに実験生理学の影響が感じられる。メスカリンの影響を、振幅が大きく周期が短い波が襲い掛かってくるイメージで捉えているのは、その流れなのかもしれない。

画像は、「脳波の父」ハンス・ベルガーによる1920年代に脳波の表現(左)と、ミショーがメスカリンを服用していた時に書いた幻覚の表現(右)