18世紀フランスの精神病棟


必要があって、18世紀のモンペリエの精神病棟についての研究論文を読みなおす。文献は、Jones, Colin, `The Treatment of the Insane in Eighteenth- and Early Nineteenth-Century Montpellier.' Med.Hist., 1980, 24: 371-90.

モンペリエの最初の精神病棟は、1713年に市の総合施療院 (Hotel Dieu)に作られた。ある精神病患者が自分の妻を殺し、自宅と隣人の家に放火して焼失させたことが直接のきっかけであった。市当局は、総合施療院に12の独房 (loges)を設置した。このうち半分は公費であるが、残りの半分からは料金を徴収した。公私を17・18世紀のヨーロッパではよくあるパターンである。この12の独房は18世紀を通じて拡張して、革命前には25に増えていた。

たしかに絶対数は少ないけれども、精神病患者を監禁できる独房の数的な増加の背景には、政治的な複雑さがあった。18世紀は王の封印状と呼ばれる、不都合な家族などを監禁できる仕組みがある一方で、それに対する批判も高まっていき、王の特権に対する反対は、フランス革命にいたるうえで重要な要素であった。自由と監禁をめぐる公共圏での議論を背景にして、監禁型精神病院のプロトタイプが形成されるというのが、英仏の特徴であった。

画像は当時の建築の図面。 19番のあたりに個室の病棟が並んでいるが、そこが精神病者が監禁された場所である。