吉田兼好『徒然草』

必要があって『徒然草』を読む。佐藤春夫の訳が味わい深く、必要でない部分も読んでしまった。

兼好が生きた13-14世紀は中国医学の黄金時代にあたり、中国医学はまさに(東洋の)グローバルスタンダードを形成していた。出版・印刷によって正確な医学知識を正確・迅速に再生産し普及させることができるようになったこと、国家的なプロジェクトとして本草の同定と収集が進んだこと、先端的な市場経済で薬が流通するメカニズムが作られたことなどが背景になる。素人考えを臆面もなく言わせてもらうと、ちょっと文脈をかえれば、現代のアメリカ医学の世界制覇を思わせるものがある。

その中国の医薬の優越の文化の中に兼好はどっぷりと浸っていた。総じて昔のほうがよかったというトーンの『徒然草』であるが、こと医薬については、最新の中国の医薬の知識を吸収することが文化人たるものの心得であると思っていた。「唐のものは、薬のほかはなくても不自由はあるまい。」という有名な文章がある。「衣食住と薬を得ることができないのを貧しいとし、それらの四つに不自由しないのを富んでいるとする。」というほど、最新の輸入薬は必須のものであった。そして、この薬というのは、その使い方も心得ていなければならない。「人の教養は経書に精通すること、次が能書、その次が医術の習得である」というようなことを言っている。

私には背景やメカニズムはわからないけれども、この時期の中国医学というのは、たんにその有効性だけでなく、教養形成にとって貴重なものだと思われたという雰囲気すら感じさせる。なぜ、この時期の中国医学は、それほどまでに知識人を魅了したのだろうか。