『<母と子>の民俗史』

必要があって、学生時代に読んだ本をひっぱりだしてきて再読する。文献は、フランソワーズ・ルークス『<母と子>の民俗史』福井憲彦訳(東京:新評論、1983)

ポイントを二つ。
最初が、身体の象徴がもっとも鮮明である出産と子育てという領域という問題。<かつて身体に関する行動の仕方すべてに滲みこんでいた象徴体系は、出産と子育てについては、特に鮮明である。かつては、子供は、それらの知が、とくによく託された存在であった。現在でも、子育ての書物は、もっとも人気があり、よく参照される医学書であることが示唆するように、子供は現代医学の象徴体系を鮮明に表わしている。>もちろん納得してもいいけれども、なぜ、子育てと出産は、ある時代の体系を鮮明に表わすのだろう?あと、象徴は残存するという問題もある。著者は、治療を求めての巡礼という習慣は、他の世代では消滅し、子供においてだけ残存したと観察している。私のリサーチでも、それに対応する現象が観察された。そうすると、子供についての医学的な行為はその時代の体系ではなく、前の時代の体系を表すことにもなる。この象徴体系は一つであって、歴史的に変わらないというなら、話は通るけれども。

次がクロノロジーの問題。人々は、いつ、子供に特別な愛情を注ぐようになったのか。伝承されてきた生き方や考え方に深く刻印された社会でも、新生児とその健康に重要性が与えられたということになると、これはアリエスが提起した問題と重なる。アリエスは、子供を生産の道具とみなくなった都市のブルジョワジーにおいて、子供がかけがえのない重要さを持った存在であると主張し、農村ではそのプロセスは遅かったと考えた。しかし、この書物の著者は、子供が生産の道具かどうかということと、子供が貴重であるということとは無関係であるとした。