医学統計の形成

必要があって、18世紀の医学統計の形成を論じた書物を読む。文献は、Rusnock, Andrea, Vital Accounts: Quantifying Health and Population in Eighteenth-Century England and France (Cambridge: Cambrdige University Press, 2002) 

19世紀には政府が作った大なり小なり信用できる死亡・出生・疾病などについての統計が誕生するが、それ以前はそういった公的機関が集計した統計はなくて。地方の牧師なり、都市の医者なりが、自分でデータを集めて作成し、それから何かを論じ、その価値を認めるように政府などには呼び掛けてきた。その過程で、「何を数えるか」「どのようにして数えるか」という問題が結晶してきた。集計と分析の結果を伝える「表」はすっきりした、意味がよくわかるものになってきた。(明治初期の医療統計表を見たことがある人は、その表が意味せんとすることを理解するのに苦しんだ経験があるだろう。)「数える近代世界」が誕生し、その中で、人口の特徴を数えるという知の形式とテクニックが作られたありさまを分析することがこの書物の目標である。「人口の生政治学」の主題だから、フーコーはもちろん出てくるけれども、科学史・科学論の分析になっている。具体的には天然痘の人痘・種痘についての議論が半分くらいを占め、あとは環境医学と人口増加の話である。

まずは6章の統計表と地理学の組み合わせを論じていると書かれていた章を読んだけれども、地理の話はほとんどなくてがっかりした。論じている人物・著作は主として3つ。イギリスのThomas Short (1750); William Black (1789); William Heberdeen (1801) Short と Black はロンドンの死亡表 (Bill of Mortality)を使っているから、死因ごとという枠組みでとらえている。ヘバディーンは病院の死亡から統計を作り出した。モンペリエのボアシエ・ド・ソヴァージュが残していた手稿のノートでは、色々な統計と計算の試みがされており、自分の子供の死亡年齢も書きつけられて、その平均が計算されている。ちなみに計算は間違っているという。

なぜ初期近代以降、学者たちは数えるようになったのか。医者たちは人間の生死と病気を数的に表わそうとしたのか。貨幣の使用とともに数えることが始まったのか。人間を定量化するという意味で、奴隷貿易が何らかの関係があったのか。