必要があって、黒死病の経済的なインパクトを論じた書物を読みなおす。文献は、David Herlihy, The Black Death and the Transformation of the West, ed. with an introduction by Samuel K. Cohn, Jr. (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1997).
ハーリリィ(と読むのかしら?)は、アメリカの優れた中世史家で、中世のイタリアが専門の学者。私は、黒死病の研究者としての仕事しか読んだことはないけれども、イタリアの家族の歴史とか都市の歴史とか、歴史学の新しい本流の優れた仕事をしているらしい。この書物は、黒死病と社会経済的な文脈についての、これまでの二つのモデルを批判して、新しい、現在の主流になっているモデルを、非常に鋭くポイントだけ論じた、論争的な論文を集めている。ハーリリィが批判する二つのモデルは、それぞれおおまかにいって、マルサスに基づいたものと、マルクスに基づいたものである。
マルサス・モデルのほうは、中世ヨーロッパの人口が過剰に増加して、それを減少させるための「チェック」として黒死病を考える。黒死病に先行した1310年代の飢饉は、きたるべきより巨大なチェックのプロローグと解釈される。一方、マルクス・モデルのほうは、黒死病を、封建制の行き詰まりと崩壊によるものと考える。それぞれが、鋭い洞察を含んでいるが、ハーリリィの説は美しいシンプルさと、黒死病という現象全体を捉える広さを持っている。
ヨーロッパの人口は起源1000年くらいから急速な増加をはじめ、黒死病の100年前の1250年くらいまで増加が続いた。これは、マルサスがいう過剰な人口というよりも、行き詰った状態で飽和した平衡を保っていた状態であった。その平衡というのは、基本的に、主たる生産手段である土地と、人口との間の平衡である。土地は、限界近くまで耕作され、しかも、増加した人口を支えるために、穀物の生産に当てられていた。黒死病がもたらした人口の激減(わずか数年で、ヨーロッパ全体でいうと、人口の三分の一かそれ以上が死亡した)は、土地を穀物生産から解放して、牧草地にして羊毛やチーズやハムを生産したり、ブドウ畑にしてワインを生産したりするなど、多様な商品作物の生産に振り向けることができた。水車の動力は、粉引き意外に、機織、ふいご、木材の木挽きにあてることができた。数が減って労働力が貴重になった結果、小作人や農業労働者のバーゲニング・パワーは上がり、賃金が上がった。高価な人間の労働力を代替するために、資本投下が行われた。例えば、鋤をひく牛を飼うことで、人間の労働力を減らすことができる。都市の経済においても、労働力を節約するような道具や機械への資本投下が行われた。