曲直瀬道三

研究報告書をいただいて、たまたま必要があるテーマについての最新の知見を集めたものだったので、喜んで読む。特に、二つの論文が重要だった。文献は、エドワード・ドロット「仏教医学と儒教医学の岐路で―曲直瀬道三『啓迪集』「老人門」」『ワークショップ 曲直瀬道三 - 古医書の漢文を読む』二松学舎大学二十一世紀COEプログラム 日本漢文学研究の世界的拠点の構築(東京:二松学舎大学二十一世紀COEプログラム事務局、2009), 43-49; アンドリュー・ゴーブル「山科言経とその患者たち」Andrew Edmund Goble, “Yamashina Tokitsune and Patient Records”, 『ワークショップ 曲直瀬道三 - 古医書の漢文を読む』二松学舎大学二十一世紀COEプログラム 日本漢文学研究の世界的拠点の構築(東京:二松学舎大学二十一世紀COEプログラム事務局、2009), 1-73.

ドロットの論文は短くて、主張のコアとはあまり関係ないことを論述している部分がほとんどという学生のレポートみたいだけど(笑)、主張そのものは面白くて重要。曲直瀬道三の『啓迪集』という医書は最初の「老人門」というセクションがあって、日本で最初の独立した「老人医学」の記述といわれている。これは、内容としては、かつての仏教医学や養生論に依拠しているもので、あまり新しいわけではない。しかし、それまでは権力者に対する健康管理の提案・助言として考えられていた内容が、子供が、老いた親を健康に気を遣うという、儒教的な「孝」の理念の枠組みの中に置かれていることが新しい。そして、これは、儒教的なイデオロギーの浸透だけでなく、健康管理の主体がそれぞれの世帯に収斂していく、近世の成立と深い関係がある。

ゴーブルは、曲直瀬道三の養子であり二代目道三である玄朔の『医学天正記』というテキストの起源について。医学テキストの形式がどのように形成されるのかというとても重要な方向性の議論。複雑な問題だけど、推論は単純で、山科言経の日記の中に、患者や自分に対する治療などが日記形式で記されているのはよく知られているが、その「一日ごとの診療記録」という形式が『医学天正記』の形式に影響を与えたというもの。