イスラムの解剖学(の不在)

必要があって、中世イスラム医学における解剖学の不在を論じた論文を読む。文献は、Savage-Smith, Emilie, “Attitudes towards Dissection in Medieval Islam”, Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 50(1995), 67-110.

人体の組織的な解剖を医学教育のルーティンとして行う事は、西洋近代医学の大きな特徴である。これは、「近代ヨーロッパだけが、唯一、科学的で合理的な医学を作った」という、ヨーロッパ至高主義の臭いがぷんぷんする言明だから、最近は人気がないポイントだと思うけれども、やはり重要な事実だと思う。この論文は、中世からルネッサンスのヨーロッパ医学の師範であり母胎でもあった中世イスラムの医学における人体解剖への態度を論じたものである。イスラム法が解剖を禁止していたとよく言われるそうだが、そう考える根拠は薄いとのことである。少なくとも、解剖を法によって明確に禁止したという事実は見当たらない。また、イスラムの医学者たちも、ガレノスに従って、人体解剖が望ましいことは積極的に認めていた。

というと、法による禁止もなく、人体解剖への興味もあったのに、なぜ中世イスラムでは解剖がなかったのかという疑問が成立する。これが、歴史学として的確な疑問かどうかはよくわからない。これは、著者自身も認めているように、明確な形をとらなかった「不在」を問題にするという、歴史の問題として、スリッパリーな(滑りやすくて扱いにくい)問題だと思う。

著者は、さすがに碩学だから、この問題をなんとかうまく処理しているように思う。挙げている要因は、宗教的なものと、常識的なものの二つに分かれる。宗教については、イスラム教における復活の教義を挙げている。もちろんキリスト教においても肉体の復活は教義の中心だが、イスラムでは、肉体の復活における具体的な「核」のような器官の存在を強調していたという。その器官というのは、尾てい骨 (coccyx)であった。これを核として、将来の肉体は復活するという。また、死んだ者は、墓の中で天使たちに吟味され、罪を犯していた場合には、罰として鞭で打たれていたという。使者の肉体が痛みを感じる能力を保っていないと、この鞭打ちは罰として成立しない。このように、イスラムにおいては、身体を保全する宗教の教義上の要請が高く、身体の統一性を破壊する解剖が超えなければならないハードルが高かったという。この説明は、私にはもちろんその妥当性は判断できないが、とりあえず納得させられる。

もう一つの常識的な説明というのも、味わいがある(笑) あえてぶっきらぼうに言うと、バグダッドは暑くて、死体がみるみるうちに腐乱するでしょう、というものである。もともと人間の死体に触れ、それを切り刻むことのハードルは高いが、腐敗が進行する人間の死体を解剖する心理的なハードルというのは、非常に高い。なるほどね。