近世京都の医療

しばらく前にEASTMという東アジアの科学・技術・医学の歴史のジャーナルが日本の医学の歴史の特集号を組んだので、掲載されている論文を取り寄せた。まずは、ずっと読みたかった京都の山科言経の日記における医療の分析を読んだ。文献は、Goble, Andrew Edmund, “Rhythms of Medicine and Community in Late Sixteenth Century Japan: Yamashina Tokitsune (1543-1611) and his Patients”, EASTM, 29(2008), 13-61.

山科言経は戦国時代の京都に住んでいた小貴族である。その父親の言継とならんで、医学史研究者の間では有名で、二人ともかなり広範に医療を営んでいて、その記録を含む膨大な日記を残している。父子の日記をつなげると、だいたい16世紀の初めから17世紀初までの70年くらいをカバーする。この論文は子供のほう(言経)の日記の分析が中心である。言継は、医者でいうと曲直瀬道三のネットワークに属した。患者は有名人で言うと貴族や徳川家康などの武将もいたが、大多数は京都の町衆(というのかな)であった。都市の共同体の中に編み込まれて成立した医者像が見えてくるという。

これは医学史の視点で言うと素晴らしい史料で、時代や社会状況がわかって、それと同時にメディカルな用語などが分かる人がいたら、きっと見逃さないだろうなと思っていた。その研究者がアメリカ人になってその業績が英語で出版されるから、日本人の医学史研究者には何の影響も与えないだろうということも何となく想像していた。 いえ、決して皮肉な意味ではなくて、それぞれの国ごとに、大きく違う関心と水準で医学史研究がおこなわれているという事実を言っているだけです。