『栄養学史』

必要があって、日本語の栄養学史の書物を読む。文献は、島園順雄『栄養学史』(東京:朝倉書店、1978)。 今日は、書籍のマージナリア(書き込み)についてのちょっとしたリサーチ(笑)と無駄話。

栄養学の歴史について、古代オリエントから現代まで人名と科学的な業績を追った書物である。ちょっと驚くべきことに、これは栄養学のコースで教えられた歴史の教科書である。しかも、ネット上で手ごろな価格で出回っている古書を買ってみて、そこに学生の書き込みが入っているから、どこが学生によって重点的に読まれたかということも想像がつく。

たとえば、合計で30名の古代から現代までの医者・栄養科学者の「人物評伝」という項目があるが、これは課題として提出されたらしい。何人かの名前に赤線がひいてあり、「読む」と鉛筆で書き込みがあり、その横に、「名前・年代・何を研究したか・どの国の人か、ノートにまとめる」と書かれている。たとえば、イギリスのフレデリック・ホプキンスの項目をみると、生没年に赤線、「生化学者」に赤線、「1861年英国イーストバーンに生まれた」に赤線が引いてある。おそらく最も重要な「副栄養素」の概念が書かれている部分はスルーされている。同様に、「ビタミン」という言葉と欠乏症の概念を作ったカシミール・フンクは、生没年に赤線、ポーランドのワルシャワに生まれたことに赤線、そしてさすがに「ビタミンの発見者」に赤線が引かれている。脚気研究でノーベル賞を受賞したエイクマンは、生没年、オランダの衛生学者、そして「オランダの小村ニイケルクで生まれた」に赤線が引いてあり、ニワトリの白米病研究、米ぬかの予防効果といった、欠乏症概念と感染症概念の衝突の部分はスル―されている。

結局、赤線が引かれているのは、生没年と生まれた場所をはじめとする、はっきりいって医学史を教える観点からすれば、「どうでもいいこと」ばかりである。これは、この教科書で勉強した学生がとんでもなくピントを外した勉強法をしていたのか、それとも教えた先生が歴史を教える意味が分かっていなかったのか、よくわからない。しかし、鉛筆書きのメモからすると、教師がそのような課題を出した可能性が高い。もし、エイクマンがニイケルクで生まれ、ホプキンスがイーストバーンで生まれたことを教える授業をしていたのなら、「栄養学史」という科目は、なくなったほうがよかった。

日本の医学系のカリキュラムで医学史とか医史学などの科目の衰退と消滅を嘆く医史学の研究者が多いけれども、それでなくても忙しい医学部の学生に、エイクマンが生まれた村の名前を教えていたのなら、そういう授業は、廃止されて当然であったし、まだ廃止されていないなら、廃止するべきだろう。これまで長いことそういう医学史が教えられてきたとしたら、その知的怠慢と勘違いに対するペナルティは払うべきだろう。医学史の授業や講座を廃止しないというなら、村の名前を教えるのとは違う内容の授業を準備するべきだろう。