カンギレム『生命科学の歴史』

重要な書物を読み落としていたことに気づいて読む。文献は、ジョルジュ・カンギレム『生命科学の歴史―イデオロギーと合理性』杉山吉弘訳(東京:法政大学出版局、2006)

私にとっては、カンギレムの洞察というのは、フーコーのような思考の飛躍をインスパイアする刺激はないけれども、歴史的な事態の深さを的確に捉えるものが多い。特に、ジェンナーとエールリヒの間の医学の変化を論じた章が素晴らしかった。18世紀末の西洋医学というのは、「魔術と似通った実践についての、格調だけ高い空疎な学説」であった。しかし、ジェンナーの種痘の発見にはじまった19世紀のあいだに、20世紀の初頭には化学療法を持つにいたる。つまり、近現代医学の特徴である<治療する能力>を手にするようになったのである。ここにあるのは、パリの臨床医学革命をひきついだブルセ、マジャンディ、ベルナールたちから直線的に現代医学へと引ける道ではなく、それぞれは、現代医学への変容を阻害する要素を持ちながら、組み合わされて現代医学になっていく、まるで論理のジグソーパズルを完成させて複雑な絵柄を明らかにするような手さばきである。

ブルセとほぼ同時代のマジャンディとともに、実験医学は三重の位置移動を経験する。場所においては病院から実験室へ。対象においては人間から動物へ。変化をおこすものとしては生薬などから有効成分へ。これらは非常に現代的に見える。しかし、マジャンディの治療法は懐疑主義、あるいはヒポクラテスの待ちの医学にすぎなかった。ベルナールの『実験医学序説』は、科学における革命はもはや存在しないと傲然と言い放つ19世紀の産業社会のイデオロギーであるが、実験的・活動的・征服的な産業社会の医学は、観想的・待機医学的・準生物的な農村社会の医学にとってかわろうとしていた。しかし、正常なものと病理的なものの同一視にこだわったベルナールは、細胞病理学も germs の病理学にも、本質的な関心を持つことができなかった。かれは、自然発生的な狂犬病があるとまで考えており、ベルナールは、その実験医学の新しさにもかかわらず、新しい治療法への障害になった。この過程を仕上げたエールリヒは、アニリンなどの染料工業の色素製造にヒントを得て、抗原抗体を人工的に製造することを思いついた。化学者にとっての色素は、伝達可能な客観的実在であり、商品化可能な社会的な実在であった。

「農村社会の中の、自然に任せる医学と対比して、産業社会の中で実験を始めた医学が、現代医学になった」というまとめができる。正しいかどうかは別にして、こんなに重要な洞察を含んでいる、しかも日本語の書物を読んでおらず、学生にも良い日本語の本はないと偉そうに言っていたとは。無知というのは、果てしなく恐ろしく、恥ずかしく、そして、自分では気がつかないものである。