戦争神経症―20年後の追跡調査

目黒克己「20年後の予後調査からみた戦争神経症」(第1報・第2報)『精神医学』8(12): 1966: 999-1007, 9(1): 1967: 39-42.
欧米諸国は第一次大戦期に大規模な戦争神経症を経験していたが、日本ではこの経験は第二次大戦期にずれこんだ。国府台陸軍病院を中心として兵士や将校の精神疾患を治療する体制を整え、昭和13年から20年にかけて合計で約1万人の入院があり、そのうち2,205人は戦争神経症であった。(最も多いのは分裂病であった)この中から生存して退院した225名を無作為に選んで、退院後20年経ってどのような生活をしているのかを調べようとした論文である。

精神科によける20年後の予後調査がどの程度の回答率があるのか私は知らないが、この調査自体はあまりうまく行っていない。225名のうち、最終的な面接調査までこぎつけたのはわずか13例であった。「このような調査を二度と行わないでくれ」と言ってきた回答者もいたという。当たり前のことだが、精神科医が調査するために神は世界を作ったわけではない。この問題については別の機会に書く。

それにもかかわらず、この論文は戦争と精神医学、特に戦後から見た戦争と精神の問題について、非常に重要なことを教えてくれる。これは、戦争神経症の症例を用いた日本文化論、日本社会論、特に、戦後に日本社会とその精神はどのように変わったかを論じようとしたものだからである。精神医学による日本文化論と日本人の精神性の短期的な歴史を、戦争神経症を通じて行ったものであると言ってもよい。よりテクニカルに言えば、戦争神経症の症状を分析し、その症状がどのようなものであるかを確定し、その症状が戦後にどのように「移動」したかということを明らかにすることで、戦争中の日本軍隊と日本社会の特徴を論じ、それらが戦後20年の日本でどう変わったかを論じようとしたものである。著者の言葉を借りると「神経症の、いったいどんなレベルが、このような社会文化的変動の影響を受けるか、どんなレベルが比較的浮動であることを調査する」ことである。この研究のためのツールが、神経症の社会文化的な条件の推移に伴う病像の変化を研究することであり、「症候移動」という現象の研究であり、神経質・神経衰弱と、ヒステリーの比を調べたN/H 比という指標である。これらの指標を用いて、戦場における環境と当時の日本社会の特徴を知ろうとした論文である。