ループ効果についてメモ

MacIntyre, Alasdair, “How psychology makes itself true-or false”, in Sigmund Koch and David E. Leary eds., A century of psychology as science (Washington: American Psychological Association, 1985), 897-903.

ハッキングの「ループ効果」のインスピレーションの一つになった論文を読む。心理学が人間心理の記述であると同時に、人間に規範を与えるという趣旨の議論である。

心理学や精神医学は、その研究対象である人間や患者の心を記述するだけでなく、人々や患者が、そうなろうとするような規範を与える。研究対象の行動や症状を記述するだけでなく、新たな所作・演技の可能性を示唆するような脚本でもある。患者はフロイトを読んだりフロイト派の医師と治療的な関係を持つと、フロイトが言うような構造の心を持とうとする。これは、人間科学にだけ存在するものであって、分子は化学の教科書を読めないし、ウィルスが読めるような言語の医学書はない。(ウィルスについては、人間の人為とインタラションを起こすという議論があり得ると思うけど、ここでは問題にしない。)

 

この論文は、ここから一般的な方向に議論が進んで、たとえば自殺については、自殺を行う人と、自殺を演じる人がいるという点を指摘する。あるいは、「本人が認めていない動機」という概念を知ると、誰かの発言の「隠された動機」こそが重要で、それをそのままオーソリティがあるものと捉えない「過剰解釈的な」態度が形成されることを指摘する。(“We interpret, we place, and we reduce.”)

 

一方で、この議論を臨床の現場に落とし込むこともできる。精神疾患の患者は、精神医学を規範とした所作を行う。もちろん精神医学の内容に即して自己を作ることもするが、私がいま注目しているのは、精神医療の構造に則して自己を作ることでもある。それを症例誌・診療録の歴史研究で議論しようとすると、患者自身が書いた「疑似症例誌」が重要になる。症例誌・診療録はもちろん医者や看護師が患者の行動・思念・感情・人間関係を日誌形式で記したものであるが、精神病院の患者は、自身でこのような日誌を記入するようになる場合がある。疾患としては、比較的軽いものである神経衰弱もあるし、分裂病のような重いものもある。患者自身が、何時何分にどのような症状があったのかを記録するという場合もあるし、その患者をめぐって他の患者が何をしたかというような記述になる場合もある。このような現象は、精神医療の臨床を支えている患者を記述した資料を医療者が作っていくという構造を、患者自身が再生産しているものとして解釈できるだろう。患者が精神医療の観察の対象であるだけでなく、その観察を再生産して疑似的な精神医療を自ら行うということである。