世紀転換期イギリスの医学における「ジェントルマン」という社会的階層

Lawrence, Christopher “Incommunicable Knowledge: Science, Technology and the Clinical Art in Britain 1850-1914”, Journal of Contemporary History 20(1985), 503-520.

 

19世紀末から20世紀にかけてイギリスの医学が科学、特に実験室の医学をどのように反応したかを論じた古典的な論文である。ドイツやフランスに較べて実験室の医学の適用がはるかに限定的であったイギリスでは何が起きていたのか。そこでは、医学における科学の価値を高く評価しながら、臨床に果たす役割は小さかった。何よりも重要なのは臨床における経験であった。臨床医学の価値を論じるために、彼らは個人の経験の役割を重視した。これは、単なる経験や「カン」の重視ではなく、その背後に社会的な階層の特徴があるからである。広い教養を持ち、できれば古典語も読むことができる紳士だけがよい臨床医になるという理念が表明されていた。臨床の背後にあるこのような社会階層の特性が「インコミュニカブルな知識」であった。これは、臨床にたずさわってエリートとなった医師たちが、基礎科学や新しい技術系から距離を取りながらそれに対抗して、彼らが持っていた制度の中での学問とパトロネージの仕組みを守ることであった。彼らが医療の内部の指導的地位を保全し、さらに医者に対する一般のイメージを守り向上するための手段として、社会的な階層の特徴こそが医者になるための鍵であるという議論が出てきた。

 

これは私の印象だが、ドイツやフランスと異なって革命を持たなかった階級社会を守る必要があったイギリスの医師たちの特徴なのかなと思う。そう考えると、日本の医療の身分的な特徴と近代化をどう考えればよいのかということも、一度これまでの研究をまとめてみよう。