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医療・文化・社会研究会 川崎明子『ブロンテ小説における病いと看護』合評会

直前になりましたが、明日6月8日は、川崎明子先生のご著作『ブロンテ小説における病いと看護』(2015)の合評会を開催します。予定と、私のコメントの冒頭部分をアップロードいたしました。皆さまのおいでをお待ちしています。

 

2015年度 第二回研究会
【日時】 6月8日(月) 18:00~
【場所】 慶應義塾大学 三田キャンパス 大学院棟 324

【タイトル】川崎明子『ブロンテ小説における病いと看護』(2015)合評会

コメント:鈴木晃仁(慶應義塾大学)・小川公代(上智大学)・伊東剛史(東京外国語大学) 

 

 

 

鈴木コメント(冒頭部分)

 

 本日は、川崎先生のご著作『ブロンテ小説における病いと看護』の合評会にようこそ。皆さま、おそらくはこの豊かなご研究をご一読の上ご参加と思いますので、川崎先生の書物が、さまざまな背景をもち、読者にさまざまな刺激を与え、さまざまな方向に発展する可能性をもっていることは、すでにご承知と思います。その背景、刺激、方向などを逐一述べておりますと、到底時間が足りなくなりますので、川崎先生のご研究がその一部である医学と文学という研究領域が、ここにお集まりの方々が研究しておられる、医療人類学、医療社会学、医学史などの学問とともに、医学・医療に対してどのような位置を占めているのかついて、まず私が考えていることをお話したいと思います。これは、私自身が医学と文学の研究者ではありませんので、外から考えているいつことを申し上げることになります。

 20世紀の後半、特に1960年代から70年代にかけて、先進国の医療とその周辺に新しいダイナミズムが生まれて、医学と文学をはじめ、医学史、医療人類学、医療社会学など、この場にお集まりの方々の多くが研究している主題が、あるものは現れ、あるものは新しい形を取りながら、医療と関連するようになった。このダイナミズムを一言で表現することは、領域の問題もあり、タイムスパンの問題もあって難しい。ある学者は、1960年代から70年代にかけての、イヴァン・イリッチのような現代医学批判や、トマス・サズらの反精神医学にシンパシーを感じるだろうし、私のように70年代から80年代のミシェル・フーコーに強く惹かれる学者もいるだろう。ポール・ファーマーがヒーローだという学者たちもいるだろう。あるいは遡って、1959年に発表されたC.P. スノウの「二つの文化」の装置で考える論者もいるかもしれない。

 いずれにせよ、私たちは、自分たちが用いる概念装置の差異化と同時に、組み合わせと統轄を意識的に行ったほうがよい。そう考えると、1960年代に始まった流れは、狭い意味の医学・医療と、人文社会科学と文化が接触して重なり合う領域を研究して分析することが、ある社会にとって重要であるという大きな合意のもとに進んでいる動きである。医学・医療を専門家に任せておけばいい問題と考えないこと、医学・医療と人文社会学の対象の接点を取り上げていることなどが特徴であろう。そしてこの方向は、19世紀初頭からの欧米と先進国の医学医療が自らを特徴づけてきた複数の価値観をまとめた、医療のアートとスキル、医科学、治療などの進歩という性格とは異なったものを志向している。医療に関する人文社会科学が現れて定着し拡大した時期を、仮に1980年代からと考えると、その時期においても少なくとも医科学と医療技術と治療は確かに進歩している。それにも拘わらず、そのような進歩とは異なる<何か>が、ある社会の医療にとって重要であると考える態度に基づく研究が定着して広まっている。

(以下略)