森田先生、そこは割り算ではなく引き算をするところです(笑)

森田正馬(1874-1938) に関する短い論文を書いている。森田は大正・昭和戦前期に活躍した精神病医である。神経衰弱に対する「森田療法」の創始者として著名であり、一般人向けに書いた精神医療の書物はベストセラーとなって20版を超えて刊行されていた。熱心な信奉者や患者がいたので、全集も全七巻で刊行されており、それに詳細な伝記と思い出をつづった本が足されるから、全9巻の全集が出ていることになる。日本でこんな栄光を受けた精神医学者など、日本人の医師では森田だけである。

医学の理論としては、仏教と頓智がほどよく混じった面白い感じで、読んでいて楽しい。学問的な功名心、特に自分の理論を外国(特にドイツ)に知らしめたいという思いは非常に強く、東大の同窓生で本物の秀才だった下田光造に頼んで、ドイツの精神医学の一流誌に何回か投稿したが、理解不能であるとしてリジェクトされていたのも、可愛いい感じがする。ところどころで、間抜けなことを言うのもご愛敬という感じである。その間抜けなところを一つ紹介。

森田の最大のベストセラーで、『実業之日本』に連載されてベストセラーになった『神経衰弱及強迫観念の根治法』という書物で、性の欲望と死の恐怖が相対的なものであるという森田の得意のくだりを論じる箇所がある。欲望と恐怖は相対的なもので、絶対的なものではない。ニュートンの力学は絶対的なものだから都合が悪いが、アインスタインは相対的だから優れている。それを論じるのに、森田先生は二つの汽車の例を出す。我々が静止して、汽車Bが10の速度で走っているとすると、汽車Bは速度10で走っているように見える。しかしこれは絶対的なものではない。我々も10の速度で走っている汽車Aに乗って、汽車Bを見ると止まっているように見えるし、我々が20の速度で走る汽車Aに乗っていると、汽車Bは後退しているように見える。我々が5の速度の汽車Aに乗っていれば、汽車Bは2の速度で走っているように見えるではないか。このように汽車の速度というのは相対的な概念なのである、という。

森田先生、その赤字の部分は、10を5で割って2という数字を出してはいけない、10から5を引いて5の速度とするべきところです。うううむ。

 

しかし、こういうことを書いても、何か憎めない感じがするのが、森田の偉いところなのだと思う。