芭蕉と伊良湖岬のタカと鳥の巣の話

日本野鳥の会の月刊誌『野鳥』の2017年11月号が面白い。冒頭に松尾芭蕉が貞享4年(1687)年に伊良湖岬に鷹を見に行った時の俳句が掲げられている。
 
鷹一羽 見つけてうれし 伊良湖
 
伊良湖岬は私は行ったことがないが、タカの渡りの名所である。秋の10月くらいになると、日本中の渡りをするタカが、日本の寒い冬を避けて東南アジアなどに移動するために南に向かう。北部のタカは愛知県の伊良湖岬に集まり、そこで上昇気流に乗るためにらせん状に上昇し、盛大な「鷹柱」(たかばしら)ができるという。私は南富士市部のタカの渡りの観察に何度か参加して、サシバの渡りやかなり立派な鷹柱を何度も観た。また、南の国に渡りをするせいで、ものすごく高い空を飛ぶ。双眼鏡で見ても、胡麻つぶくらいにしか見えない高さをまっすぐに飛んでいく。とてもいいものである。
 
解説によると、芭蕉の句にあるように、伊良湖岬がタカの名所であることは江戸時代にも知られていたとのこと。江戸時代にこれが知られていて、実際に行われていたとは考えたことがなかった。ただ、芭蕉がこの地に行ったのは当時の12月で、これは現在の1月くらいであるとのこと。サシバなどの渡りは完全に終わっている。7月に吉野に行って桜の花を見るようなものである。芭蕉とその時代が、何が分かって何が分かっていなかったのかを知ると、この行動とこの句がわかる。
 
もう一つが鳥の巣の話。私は野鳥の会の会員だが、鳥の巣はまったく分からない話題の一つである。大きな理由は、野鳥の会が会員誌で鳥の巣の写真、特に愛くるしいひな鳥がいる写真の掲載を禁じているからである。是非をめぐる議論が分かれるところだと思うが、私は特に反対していない。ただ、今号はめずらしい鳥の巣の特集で、巣の写真やイラストが満載である。鈴木まもるさんという鳥の巣の絵本を書くスペシャリストの作品もたくさん見た。また、「求愛巣」という言葉も学んだ。オス鳥がメス鳥に求愛する道具として作る立派な巣である。その記事ではセッカが求愛巣を作るとのこと。ある意味でクジャクのオスが美しい羽根を発達させて求愛の道具にしているようなものであるという。セッカについては、立派な巣を作って、メスのおめがねにかなって交尾すると、もう仕事は終わりで、子育てはメスの仕事、オスは次の求愛巣を作って次のメス鳥を探し始めるという。記事を書いた学者の研究によると、4か月で18個の巣を作って11羽のメスを獲得したのが最高記録であるという。
 
一方、これは私の個人的な経験だが、巣を作って、夏の間じゅう、ずっとメスを求めて鳴いていたが、とうとうメスが現れなかったセッカを観たことがある。数年前に家の近くにあるアシ原でセッカが巣を作り、毎日早朝から懸命に鳴いていたが、そこにセッカが来るのは珍しく、一か月以上にわたって鳴き続けたけれども、結局メスが現れなかったのではなかったかと思う。