ナチスの強制収容所に関する日本人の精神病医の見解

加藤, 正明. ノイローゼ : 神経症とは何か. 再訂増補 edition, 創元社, 1959. 創元医学新書.

戦後の日本がナチス強制収容所をどう理解していたか、いつどのように理解が変ったかという問題。これは私の無知の問題だと思う。ナチス強制収容所の<目的>について、いつ理解が変わったかという問題だろう。現在では抹殺が目標であると正しくとらえているが、人格を転換させることが目標であったという考えがあった。この考えは1955年の初版でもそして70年代でも論じてられていたケースである。

創元医学新書やブルーバックスなどの20世紀中葉の医学啓蒙書や科学啓蒙書のシリーズがある。自分が子供の頃に読んでも楽しかったし、いま読んでも研究の側面で楽しい。その中で、日本のアジア・太平洋戦争時の戦争神経症について、非常に重要なのは加藤正明『ノイローゼ』である。1955年に初版が出て、それから20年余り改定しながら刊行が続いていた。加藤自身がビルマを中心に戦争の場での精神疾患の治療などにかかわり、戦場・敗戦がどのように言説とからまっているのか再構成できる。うまく史料が見つかると、かなり水準が高い分析ができるだろう。素晴らしい研究書である『戦争とトラウマ』を書いた中村江里さんはきっともう深く考えているかもしれない(笑)

そんなことを考えながら、加藤の本から必要なマテリアルをメモするときに、ちょっと不思議なマテリアルがあった。加藤がナチス強制収容所についてどのように捉えていたのかがわかる部分である。長いが引用しておく。

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またナチスの集団収容所(コンツェントラチオンス・ラーガー)は、人間を集団的に身心の限界状況においた実験であった。収容者の一日カロリーは1800カロリー、要求された労働には3000カロリー以上が必要だった。一日17時間休みなしに風雨にさらされて働き、面会も禁止された。しかもなんのために投獄されたのか、今後何年おかれるのかわからなかった。ナチスの目的はこの状況におくことによって、人間を変えてしまうことにあった。

こういう言語に絶した身心の限界状況で、人間が順応していく過程を、収容者の一人である心理学者ベッテルハイムが冷静に記録している。最初の収容時のショックの時期には、中産階級のものに自殺や異常な行動などがみられた。第二期の拷問の時期には、恐ろしい体験をしているのはほんとうの自分ではなく、主体から離れたじぶんであるかのように感ずる「自己疎外」の体験があった。この二つの時期を経て、収容者はナチスの意図する鋳型にはまった人間にかわっていく。誰もが看守のような服装をしたがったり、言動まで看守に似てくる。収容所外の世界との接触を避け、収容所の生活に閉じこもり安住するようになる。しかもこの世界では自殺も神経症も起こらなかったという。

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ベッテルハイムがいつの集団収容所に入ったのかよくわからないが、ホロコーストが始まった時期ではなく、1939年には脱出しているので、たしかにこれが正しい可能性がある。でも、それ以降の強制収容所の目的は抹殺であり、人格変更ではない。この記述、ちょっとおかしい。

このベッテルハイムというのは、ブルーノ・ベッテルハイムという哲学者である。ユダヤ人として1938年に収容されたが、幸いなことに39年に収容所を脱出してアメリカに移住して、シカゴ大学の心理学の教授として尊敬された。しかし、実際は取得していない心理学の職であったし、女性患者に性的な暴行を継続を行ってもいたことが後に明らかになり、ベッテルハイム自身も晩年に自殺する。

加藤がベッテルハイムを引用するのはいいが、ナチスの目的が「人間を変えること」であったということも、現在では不十分な言い方である。目的が抹殺であったというのが正しい。あるいは私はそう思っている。ここの加藤らの理解の姿勢もよくわからない。