明治期末の会社組織の病院

同じく京都医事衛生誌の明治43年10月発行の199号の記事に、大阪と京都に会社組織の病院ができたというニュース。
 
まずは、神戸―大阪に合資会社組織の病院が設立されたというニュース。これは高橋眼病院という。病院と言えばこの時期は官公立か一私人の設立だが、これは合資会社として設立された。このように純然たる営業を目標にして設立されたものは殆ど絶無であるとのこと。その病院がどのような扱いを受けるのか、ことに過失の時にだれの責任になるのかなどが議論されるだろうとのこと。
 
次は京都に設立された株式会社としての栗田病院。医業は営業ではないが、この病院は、医みずからが利益配当を標榜して株式会社を設立する愚かなものであるとのこと。これは神聖なる医業を商工的な営業に堕落せしむるものである。株式会社何々神社とか、株式会社何々寺院などはないではないか。医は営業化の方向に抵抗するべきである。この病院の設立は嘆くべきである。
 
株式会社の病院が良くないというのは、実はこれまで考えることがなかった主題である。言われてみると、その主張は一通りは分かる。やはり医師と株主が悪いと思われがちだろう。医師の立場からすると、病院が儲かるように沢山の患者が出るように願い、株主としては、誰かが病気になると、自分が株主をしている病院に行って自分が儲かると思うということになる。これは、確かに人の苦しみが少なくなることを願う医の位置づけの根本原理と反している。現在の病院ではどのようにこの部分は処理されているのかしら。
 
この栗田病院というのは、もしかしたら精神病院かしら。いま、手元に資料がないので分からないけれども。 

京都医科大学新入学生・高校別合格者数 明治43年

たまたま読んでいた明治43年10月の『京都医事衛生誌』に京都医科大学新入学生の、旧制高校別の合格者数があって、よく分からないので、とりあえずメモしておく。
 
東大の学生は、単位を普通に取っていくと駒場から本郷に行くから、私は一高と東京帝大は実質上連続していたかのように思っている。たぶんこれは錯覚かもしれないと思っているが、きちんと調べていない。その類推で、京都帝国大学の医学部よりも早く設立された京都医科大学というと、三高がほぼ独占状態かと思っていたが、これが全然違う。 
 
一高 (東京)   0
二高 (仙台)    9
三高(京都)    17
四高(金沢)    20
五高 (熊本)   11
六高 (岡山)     9
七高 (鹿児島)14
 
基本的には一番多いのは金沢の四高で、京都の三高は二位には入っているが、他の高校の追い上げもかなり激しい。地域配分でもしていたのだろうか。

中世イタリアにおける解剖用の刑死体

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13世紀末から14世紀中葉にかけて活躍した画家にピエトロ・ロレンツェティという人物がいる。彼がアッシジ聖フランシスコ教会のバジリカにフレスコを描き、その中で、首を吊って自殺したユダを描いている。身体は歪んで下方に引っ張られたようになり、下腹部は切り開かれて内臓も見えている。これは解剖学に用いられた刑死体が原型にあるのだろう。中世のイタリアの大学の医学校では、刑死体を用いて解剖の講義と行うことがすでに慣例となっていた。少し調べてみると、そのような議論をしている論文が見つかった。ロレンツェティだけでなく、首をくくって内臓が見える自殺したユダの死体の絵画が複数あるとのこと。著者本人が公開していて読むことができる。
 
Gaeta, Raffaele, and Antonio Fornaciari. "A Hanged from the Past: Medical Consideration on the Judas Iscariot Fresco—Chapelle Notre-Dame-Des-Fontaines, La Brigue (15th Century)." The American Journal of Forensic Medicine and Pathology 37, no. 3 (2016): 170-73.
 

医療費の配分―医師・売薬の優勢と加持祈祷の不在

もう一つ、昭和13年木更津保健所のデータから、二つの村の医療費の構成の比較について。面白いのは、医師に支払った額、売薬などに使った額、電気と針灸、そして加持祈祷などに使った額である。8割が医師、1割5分が売薬で、費用としてはこの二つがほとんどである。加持祈祷については、二つの村で、0.8% 、0.3%の割合しか占めていない。滝野川健康調査という東京の一部の充実したデータのフルセットを使い、自分でデータを打ち込んで計算したこともあったが、そこでも同じくらいの数字である。ちなみに、東京の一部の滝野川では医師の割合が6割くらいで、どちらの村よりも少し低いのも少し驚きである。

加持祈祷については、「昔は加持祈祷も大事だった」という言葉をよく聞いている。基本は賛成した上で、私が発見した中では、費用の点で言うと、ほぼ無視していいくらい少なかったこと、しかし他の点での意味がとても大きかったという意味に採るべきだと思う。「他の点」の中身が、よく分からない。家にとって非常に重大な問題であったとか、村の公共に害を及ぼしたとか、宗教的な世界観であったからとか、そのような意味なのだろうか。

  三島村   飯野村  
戸数 216戸   328戸  
人口 1244人   1577人  
罹病者 619人 49.70% 401人 25.40%
日数 53.1日   44.8日  
医師 10,799 円 82% 9,090円 81.80%
売薬・滋養 1,966円 14.80% 1,365円 12.20%
電気・鍼灸 102円 0.70% 192円 1.70%
湯治 3円 0.10% 20円 0.20%
加持祈祷 105円 0.80% 27円 0.30%

 

 

昭和13年木更津保健所のデータから 性病

千葉県木更津保健所 事業報告 第1号 S13.7-S13.12.

健康相談と結核予防 外来、出張、保健婦結核患者訪問、結核予防
寄生ちゅう
乳幼児保険事業
花柳病、防疫、住宅調査、栄養改善、農村の医療費

結核の患者の発見、あっというまに360人の結核患者を外来と健康相談を通じて見つける。これは赤血球沈降速度検査機を用いた。644人の患者発見。3人の保健婦が231名の患者訪問を行う。

寄生中や乳幼児も行われ、家庭訪問がされる

花柳病については、業態者の徹底的な教育、予防対策、男性側の青年に対する教育。ことに、ここには海軍航空隊と憲兵分遣隊があったため、かなりの公娼と私娼がいた。まずは、公娼と私娼に教育をしなければならない。性病の種類、初期症状、予防方法である。そこは試験が大好きな日本の官僚たちが行うことだがら、教える前にもちろん簡単に彼女たちの性病に関する知識をテストする。公娼は75.1点。 私娼の酌婦と47点、45点であった。 残念なことに問題は分からない(涙)

これではいけないから、予防講話を行う。合計して9回というから、かなり充実したものだろう。そして、講話の強調点も変える。かつては、「単に病理を恐れるべきことのみに主眼」があったが、新しい講話では、具体的な予防方法を解説する。そして、来客との力関係の問題だが、それも変えるようにする。「来客に対して予防措置をむしろ指導的な立場に立って」とあるから、性病予防はお客に任せるのではなく、売春婦が方法を知り、適切なタイミングでそれを実施することになる。そのため、コンドームをサービスし、「ズプリマードパード」を行わせる(これって何だろう)。このような、知識を持ち、積極的に性病予防を行う方向に変えてから、性病予防に大きな効果があがったという。

流れとしては、性病は怖いことを知っていても、技術的に無知な売春婦に知識を教えて、性病予防の技術をマスターして、来客に対して指導的な立場となるということである。

ジークムント・フロイト博物館

www.freud-museum.at

 

ウィーンのベルクガッセ19番地にあるフロイト博物館。フロイトが居住し開業していた場所を利用した博物館である。開業は1891年から1938年までで、私が調べている王子脳病院は1901年から1945年だから、フロイトのほうが少しだけ長期にわたって開業していたことになる。これが何を意味するのかよく分かってはいないが、医療施設の性格や経営についてのヒントになると思う。

そんなことよりも重要なことは、ウィーンのフロイト博物館が、€30で通常の会員になる以外に、ジークムント・フロイト2020という形で、この施設を拡充するキャンペーンをしている。私も少額だが寄附をした。フロイトの学説が現在の精神医療に貢献するからと信じているわけではなく、重要な精神医療の診療所の史跡を保存するためである。念のために言っておきます(笑)

History of the Human Sciences のウェブ戦略

History of The Human Sciences

 

History of the Human Sciences という雑誌がある。方向としては「思想と文化」の視角で人間科学の歴史を分析するものである。私の専門の「社会」の視角からの精神医療の歴史と深くかかわっている雑誌である。ずっと論文を投稿してみたいと思いながら、まだ投稿できていない。来年中に、ぜひ投稿しよう。

h-madness で知ったのだけれども、この雑誌のサイトが非常に充実している。まだ歴史が浅い若手の雑誌だからということもあるのかもしれないが、とても魅力的なコーナーにしている。書評をすべて読むことができるコーナー、非常に丁寧な著者にインタビューするコーナーなど、とても魅力的である。医学を含めて人間科学の歴史を研究されている学者たちは、ぜひご覧ください。