京都医科大学新入学生・高校別合格者数 明治43年

たまたま読んでいた明治43年10月の『京都医事衛生誌』に京都医科大学新入学生の、旧制高校別の合格者数があって、よく分からないので、とりあえずメモしておく。
 
東大の学生は、単位を普通に取っていくと駒場から本郷に行くから、私は一高と東京帝大は実質上連続していたかのように思っている。たぶんこれは錯覚かもしれないと思っているが、きちんと調べていない。その類推で、京都帝国大学の医学部よりも早く設立された京都医科大学というと、三高がほぼ独占状態かと思っていたが、これが全然違う。 
 
一高 (東京)   0
二高 (仙台)    9
三高(京都)    17
四高(金沢)    20
五高 (熊本)   11
六高 (岡山)     9
七高 (鹿児島)14
 
基本的には一番多いのは金沢の四高で、京都の三高は二位には入っているが、他の高校の追い上げもかなり激しい。地域配分でもしていたのだろうか。