田中香涯の医界批判

必要があって、田中香涯が明治30年に当時の医界を批判した書物を読む。文献は、『医事断片』(1900)。国会図書館近代デジタルライブラリーは初版、二版、三版と、三つのエディションをとっていて、だんだんと厚くなって、新しいマテリアルが付け足されていく。毎年せっせと雑文を書いていたらしい。

明治33年に「わが医界は進歩したのだろうか」と改めて問い直した書物である。総じて否定的な答えを出している。局所的に学問が進歩した部分はある。しかし、いまだに医者の多くは蘭学と漢方をかじっただけで開業を許されているものが多い(2-3) 基礎医学が不振であり、特に医学の哲学と言われる病理学にまともな学者がいない。(4) ちなみに、彼自身は大阪医科大学(名称変更はあるけれども、現在の大阪府立医科大学の前身である)の病理の先生であった。 「今の世はうぬぼれの時代なり。少しばかりの専門医書を読みかじり、二、三の小アルバイトでも世に出だせば忽ち専門学者を気取りていやに勿体ぶり他を排し己を揚ぐる小大学者甚だ多し」(9) 山脇東洋とその破天荒な弟子の永富独嘯庵の関係は、フィルヒョーとコーンハイムの関係と同じである。

60ページからの「自然療能」(自然治癒力のことである)が、疾病とは毒物と細胞の戦闘であるという、フィルヒョーの細胞病理学、コーンハイムの炎症論、メチニコフの食細胞論などと、病気を治すとは、いったい何をすることなのかという根本的な話に触れようとしている。

解剖学で、かつては、エタが解剖された臓器をさして、これが肺であるとか、これは胃であるとか言っていたそうだが、そのうち、医師が自分で解剖するようになるという。

岸和田の疾病調査にいったときに、泉南郡の地方開業医がつけた病名一覧を見せてもらったことがある。これが、抱腹するもの、まったく分からないもの、漢方の病名そのままなど、笑いの種になるからと、その一覧を示し、地方医師は無学無識であるといっている。(2版 196-99 )

医学は専門の研究をし、その学術上の理論を世間の問題に応用し、一般世人に教養を与え、俗論を反駁するべし。学問上の見地から立論するべき社会問題も多い。個人医療のほか、国家、行政、立法の上に少なからぬ影響を持つ。フィルヒョーをみよ。(3版 136-138)

医師が都会にあつまり、開業競争が激しく、生活と収入のことばかり考えて、学問修養はうまくいかず、その結果、何も得ることがない。医師は田園に移り住むべきである。 168