『百鬼夜行絵巻の謎』


必要があって、『百鬼夜行絵巻』の謎ときを読む。文献は、小松和彦百鬼夜行絵巻の謎』(東京:集英社、2008)

百鬼夜行」というジャンルの成立を書き変えて、妖怪の誕生について新しい解釈を示唆した野心的な書物である。古書店のカタログから現れて日文研が購入した「日文研本」と名付けられた百鬼の図が出発点になり、百鬼夜行の図像は、いつごろ発生して、どのように模写されて広まっていったかを論じる。有名で、芸術的にも優れていて模本も多く、これまでの百鬼夜行・妖怪研究の中心であったのは大徳寺・真珠庵が蔵している絵巻で「真珠庵本」であるが、この「真珠庵本」というこれまでのキャノンをひとまず脇にどけて、百鬼夜行絵巻の成立をあらためて見直している。この部分は、写本の系統のテクニカルな話で、もとともかなり複雑な事態だし、議論の仕方も必ずしも整理されたものではなく、私にはもちろん判断できない。

しかし、そこから引き出してきた結論・洞察というのは、一級品のものである。百鬼夜行は、中世期の他の絵巻物や物語、とくに「異類もの」と呼ばれる、人間以外のものが人間がすることを行うという主題に影響されている。たとえば有名な鳥獣戯画や、動物や道具などが「歌合せ」をしているという趣向である。つまり、擬人化させる想像力の影響が強い。ここで、人間以外の動物、植物、道具などについて、擬人化されただけで幻想性が強く妖怪性を帯びるものと、そうでないものがある。たとえば、うさぎや蛙というのは、二本足で立って絵に描いたからといって、すぐに妖怪性を帯びるわけではない。鳥獣戯画は戯画であり、イソップ物語が妖怪物語でないのと同じである。それに較べて、魚介類や器物に手足が生えて擬人化されると、いかにも不思議であり妖怪性が高くなる。ヒエロニムス・ボッシュの描く地獄でも楽園でも手足の生えている魚介類は定番である。倉橋由美子が『人魚姫』のパロディで、上半身が魚で下半身が人間の「人魚姫」の話を描いている。

この洞察も重要だと思うけれども、もう一つ、妖怪・百鬼夜行は、擬人化された生き物や道具が作る異世界と、人間の世界が出会ったり、接触したり、相互に侵入しあったときに生まれるという洞察が卓抜で素晴らしかった。パラレルワールドは、想像力の世界だけであれば、それでは妖怪は生まれない。その二つが出会ってしまった時に、そこに妖怪が生まれるのである。

図像は、日文研のサイトから、「日文研本」『百鬼の図』の冒頭。