慶應外語でドイツ語中級を学ぼう

慶應外語

 

私は東大駒場の教養学科だったから、学部3年・4年次にも第二外国語が必修だった。卒業に外国語が12単位必要で、語学は1学期で1単位だから、かなりの数の語学の授業を履修してまじめに勉強した。英語を6単位、ドイツ語を3単位、フランス語を2単位、ラテン語を1単位とった。英語は上級、他の外国語も中級だったから、まじめに語学を勉強するカリキュラムだった。ラテン語はまともにできるようにならなかったが、ドイツ語とフランス語を使う授業は大学院でも取っていたから、素人としてはかなりできた。ロンドンで博士論文を書いていた時でも、18世紀のフランス語の医学書は数百ページくらいならなんとか読めた。たぶん今では読めなくなっていると思う。これはよくない。

それよりまずいのがドイツ語で、日本の大学院を出てからドイツ語のテキストをまともに読んだことがない。ここしばらく近代日本の医学史を研究していて、戦前の日本の医学はかなりの部分をドイツの医学に依存しているのに、私がドイツ語を読めないのは、ものすごくよくない。もちろんドイツ語の中級の教科書を一人で自習するオプションもあるが、それで本当に語学をマスターできる天才とは、私は会ったことがない。どうしようかなと思っていたら、素晴らしい制度があるのをふと発見した。慶應外語である。

慶應には外国語の先生がたくさんいるから、慶應外語というサービスを提供している。それでドイツ語を学ぼう。初級だけでなく、中級も上級もあるから、最初は中級から始めよう。夕方に開講しているから、一日の仕事を終えてから、ドイツ語を学ぼう。ドイツ語の感覚を取り戻したら、東大や慶應が持っているドイツ語の医学の本や論文をたくさん読もう。外語の授業は教職員は2割程度の割引があるから、それも使わせてもらおう。すると12回の授業を25,000円で受けることができる。少し楽しくなってくる新しい試みである。

 

『外科の夜明け』と『ドクター・アロースミス』

Thorwald, Jürgen, 和基 大野, 孟司 養老, and 泰旦 深瀬. 外科の夜明け : 防腐法-絶対死からの解放. 地球人ライブラリー. Vol. 009: 小学館, 1995.
Lewis, Sinclair, and 儀 内野. ドクターアロースミス. 地球人ライブラリー. Vol. 036: 小学館, 1997.

小学館の「地球人ライブラリー」というシリーズがあった。私から見るとよく分からないシリーズである。一時期人気があった学者の栗本慎一郎ダニエル・デフォーのペストを訳しているなど、何が起きるとそんなことになるのかよく分からない本を出している。そのシリーズで、シンクレア・ルイスの『アロースミス』という医学小説の古典が翻訳されていることを知って、これもよく分からないけれども買って読んでみた。原作は長大な20世紀初頭の医学教育と医療を描いたもので、私は部分的にしか読んだことがないが、当時の医学生の生活と価値観、医学教育のありさま、開業医の理念、職業の理念など、読んでおくと非常にためになる作品である。日本語訳はその抄訳である。結構面白い。古本で安価に手に入るから読んでおくといい。

そこで「地球ライブラリー」から『外科の夜明け』という本も出ていることを知った。恥ずかしいことにこの本のことを私は知らなかった。安価だったし、買って読んでみた。基本は、史実にかなり基づいた小説であり、大河ドラマのようなものだと思う。麻酔と消毒と細菌学の時期の外科学の発展を描いた小説である。アメリカ人の外科医を主人公にして、彼が著名な外科医や医者たちに会った時の話をするというストーリーである。色々と面白い引用はあるが、小説だから、史実として軽々しく引用してはいけません(笑)それから、外科技術の重要な細部がわかりにくい。外科技術の進展の話は、技術的な把握が大きな意味がある領域である。技術的な部分をかっちり把握して、できれば実践できる必要があり、外科の医者でなければできない医学史の主題だと私は思っている。私のような人文社会科学系の医学史の研究者は、それが障害になって、外科を主題にした仕事をおそらく一生しないと思う。ただ、この書物では、その部分があまりよく分からない。これは小説だからなのか、オリジナルがそうなのか。立派なきちんと学術的な本を探して読もう。

地球人ライブラリー、よく分からないシリーズだけれども、わりと楽しかったです。復活しなくてもいいとは思いますが。

17世紀ロンドンの医療と子供の不在

Traister, Barbara Howard. The Notorious Astrological Physician of London : Works and Days of Simon Forman.  University of Chicago Press, 2001.
 
けいそうの17世紀を書いていて、16-17世紀にロンドンで医療と占星術を営んでいたサイモン・フォアマンの短いけれども面白い研究を読んでいて、子供の医療とこの時期の医療についての特徴についての言及があり、これが初めて実感として理解できたのでメモ。
 
フォアマンは医師の資格を取っていないが教養人で占星術もマスターし、ロンドンで営む医療と占星術も流行っていた。医療と占星術の記録が残っていて、記録の9割くらいが医療に関するもので、恋の成就の惚れ薬などはごく少ない。医療の症例が数千点にわたって残っており、ウェブ上に画像公開されている。誰でも読めるマテリアルだけれども、読んで分析するためには、きっちり訓練を受けなくてはならない。ケンブリッジ大学のローレン・カッセル先生たちが分析して仕事を発表しているので、そこに聞くといい。
 
問題は子供が少ないことである。症例の8割以上について年齢がわかり、その年齢構成が歴史学者の議論の対象になっている。簡単に言うと子供の数が非常に少ないのである。1歳から15歳の子供の割合が1割前後である。患者の主体は16才から49才の成人、50歳以上も少ないのはこれは人口学的なバランスの問題である。病気をよくして、それが頻繁に重くなる子供の割合が、なぜこんなに低いのか。
 
もちろんアリエスやストーンたちは、小さい子供に対して親は複雑な感情を持っていて、生命が確定するまでは愛情や医療費の支出の対象ではなかったという議論を展開している。しかし、この説明は医学史家たちには非常に人気がない。私たちが持っている史料で、子供の病気や死亡に対する親の感情が表現されたものから見ると、医療費を払う対象でないという説明がぴんとこない。だからといって、医学史家たちは、この時期の史料ででくわす子供の不在の問題に対して、決めての説明を持っているわけではない。
 
ここで提唱されているのはきちんとした説明というより、説明の断片だけれども、これは、私の心にかなりぴんとくるし、あと初期近代の医学史家たちのなかでこのポジションを重視するものも多い(たとえば Andrew Wear)  ポイントは、ガレノス医学の治療法は、身体に強い負荷を与えて、その負荷に耐えて健康を取り戻すモデルであるということである。瀉血や吐しゃや下剤がガレノス医学の治療法の中心である。これらは、患者の身体にまずマイナスを与える。そして、それから返ってくる中で病気も治るという基本モデルである。だから、宗教改革の時期には、ガレノスの医学は残酷で虐待であるとまで批判された。そのような攻撃的な治療を、病気の子供に対してできるのか、という問題である。ガレノス医学の治療が、成人の男子を理念系としていたということである。
 
 
 
 
Medical Consultations for which Age Is Recorded
1 ~ 15
16~49
 
50 and over
 
     
Men
Women
Men
Women
1597 casebook
1479
132
449
657
95
146
1601 casebook
954
110
276
412
81
75
 
2433
242
725
1069
176
221
 

今年の映画

www.bbc.com

 

BBC より。今年公開予定の映画を10本。メアリー・ポピンズ続編やエリザベスI世の映画などを観よう。それより、はやくオリエント急行を観なくては。娘によると、原作の方が好いけれども、映画もなかなかとのこと。ミシェル・ファイファーを観るのも久しぶりになるし、楽しみにしている。

 

犬と聖ロックとペストのパンデミック

今年は戌年で、南方熊楠『十二支考』の犬の章を読んでいたら、犬の聖人であり、同時に街や人をペストから守護する聖人である聖ロックの記述が出てきた。来年度の授業は疾病の歴史であること、パンデミックについての考察を一つ準備していることもあって、英語の Wikipedia やペストの図像学に関する論文も眺めてみた。

まずは聖ロックの生没年について。この人物は、黒死病やペストの時に活躍したとされているのに、その生没年がc.1296-1327 とされており、1346年から1453年の黒死病の前に死んでいるというのが医学史学者としては少し困っていた。しかし、新しい Wikipedia によると、現在の生没年は c.1348年から1376年となっている。これはこれで、黒死病の時には幼すぎるということで多少困るのだが、「黒死病」を限定的に取らなければ何の問題もない。


聖ロックについて。平凡社の『黄金伝説』 で聖ロックの項目を見つけることができなくて恥ずかしいが(なぜ?)、1483年のカクストン訳を読むことができたので問題なし。犬とペストに関する物語は以下の通りである。ロックはモンペリエの良家に生まれたが、良心と父親の死後にローマに向かい、途上の多くの街で悪疫が流行していることに遭遇した。そこで癒しと施しと祈りに身を捧げる。ところがピアチェンツァの街で自分もペストにかかってしまい、街を追放されて森に逃れて一人になって、病気と飢えで死にそうである。しかし、近くの貴族が買う猟犬が口にパンを咥えてやってきてロックに与え、飢えから救ってくれた。そこに犬の飼い主がやってくると、ロックは自分の病気が伝染すること contagious を知っていたので、自分の近くに来ると病気がうつるから来るなと言い、飼い主は一度はそれを聞いて家に帰るが、ロックは聖なる人だと気づいて翌日やってきて助けるという流れである。この物語の成立は1340年代ではないが、中世の人々も contagion の概念は使いこなしているのに少し驚く。

もう一つが聖ロックとパンデミックの話。黒死病から300年間のヨーロッパの死亡率はすさまじい。黒死病で半分とか三分の一くらいの人口が一気に死に絶えたのちに、局地的だがヨーロッパ全体にわたるペストが30年に一度くらいのペースでやってきては、それで人口の1割から3割くらいが死ぬという時期が続く。この状況では、絶望と諦念が似つかわしい気がするが、この時期はルネッサンス宗教改革、科学革命など、ヨーロッパの文化の歴史の中でもっともダイナックな時代である。そのあたりの事情を、聖ロックの姿を描いたペストの願掛けが無数に発行されたこととつなげて、ペストの攻撃に対して聖人が介入して自分たちを守ってくれるというポジティブな発想に基づいているという解釈を読んだ。

Marshall, Louise. "Manipulating the Sacred: Image and Plague in Renaissance Italy." Renaissance Quarterly 47, no. 3 (1994): 485-532.

おそらく、この解釈に重要な論点があると思う。私は疑義を持っている。もっと重要な問題もあるが、一つ簡単なところから。まず現代の医学的な尺度から言って、聖ロックの姿を描いた願掛けはペストには無関係である。迷信の産物であるといってよい。科学と迷信の二分法はよくないが、宗教と医学の潜在的・顕在的な対立はこの時期に存在した。フィレンツェの医学系の委員会は、防疫のために教会に集まることを禁じたので、16世紀にカトリック教会に破門されている。人々が迷信に熱狂したことをポジティヴな発想と高い評価をすることは私は違和感がある。

フランケンシュタインは怪物の名前というのは「誤解」なのか?

 
今日のOED は複合語をつくる連接要素 (combining form) の Franken-。遺伝子操作・遺伝子組み換えされたという意味。20世紀の後半から21世紀に定着した。語源は今年出版200年である小説 Frankenstein に登場する怪物(creature) にちなんだもの。遺伝組み換えの果物を frankenfruit, 食べ物一般を frankenfood のように言う。
 
もちろん Frankenstein はメアリー・シェリーが書いた小説、Frankenstein, or the Modern Prometheus の主人公である科学者の名前であり、彼が合成的に作った怪物の名前ではない。しかし、日本語はもちろん英語でも、その怪物のことを Frankenstein という誤解は完全に定着している。そして「誤解」と書いたけれども、OEDが挙げる引用の著者を見ると、1838年グラッドストーン、1889年のシドニー・ウェッブとG.B.ショー、1958年のアイザック・アシモフたちが並ぶ。 つまり、一方にグラッドストーンらの超大物たちが「フランケンシュタインは怪物の名前だ」という前提で物を書いていて、もう一方には原作者のメアリー・シェリーが半ば孤立して「原作ではフランケンシュタインは科学者の名前です」と言っている構図になっている。SF作家のアシモフまでフランケンシュタインを怪物の意味で使っている。OEDがこの見解に軍配を上げたと解釈できる。
 
2018 年、フランケンシュタインの研究者は、日々血みどろになってこの「誤解」と戦うのだろうか。それともその希望を持てない戦いが「まるでフランケンシュタインみたいだね」とか言って、実は寝返っていくのだろうか。
 
 
1838   Gladstone in Murray's Handbk. Sicily (1864) p. xlvi   They [sc. mules] really seem like Frankensteins of the animal creation.
1889   S. Webb in G. B. Shaw Fabian Ess. Socialism 38   The landlord and the capitalist are both finding that the steam-engine is a Frankenstein which they had better not have raised.
1958   I. Asimov Naked Sun xiv. 172   Do you know robots started with a Frankenstein complex against them.? They were suspect. Men distrusted and feared robots.

明けましておめでとうございますー書評 Stefanie Coche 先生

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 
 
ギーセン大学で教えておられる Stefanie Coche 先生によるドイツ語の著作の書評です。患者の家族が精神病院に収容することの重視とその多様な意味の分析、歴史学の上での実証的なマテリアルを可能にする患者のファイルなどの重視、そしてミシェル・フーコーの遺産の批判的な乗り越えなどが主題になっています。
 
私は英語以外の外国語はまともにできないのですが、この書物には注目して、Medical History の書評編集委員長の時に ベルリンのEric Engstrom 先生にお願いして書評を書いていただきました。その書評がこの書評でも掲載・言及されています。新年から頑張ろうという気持ちになっています。エングストローム先生の書評はこちらになります。