アメリカ陸軍による兵士の幻覚剤人体実験とナチスによる電気痙攣による患者の多数殺人

2017年の第4号のHistory of Psychiatry に掲載された二つの20世紀中葉についての記事。

 

Ross, C. A. (2017). LSD experiments by the United States Army. History of Psychiatry, 28(4), 427-442. doi:10.1177/0957154x17717678

第二次世界大戦期は各国で兵士や労働者に薬物を与える大きな企画があった時期である。第一次大戦で経験した神経症・ヒステリー・PTSDなどのさまざまな名称で呼ばれた精神疾患は現代の戦争が理由であった。それを防ぐために、参戦する兵士に薬物を与えることも行われた。ドイツや日本に関しては自国の兵士などに薬物で実験をして、有効と決まった薬物を労働者に利用したケースはもちろん存在するし、本や論文やブログ記事なども書かれている。ただ、第二次大戦やアジア・太平洋戦争期間中に、ドイツの影響範囲や日本ではホロコースト731部隊など、薬物実験よりもずっと鮮明な悪事が行われているので、あまり注目されない。イギリスやアメリカにおける幻覚剤を用いた薬物実験も、第二次大戦の戦前や戦中、そして戦後にも存在している。精神医学や薬物を利用する鮮明な動きは英米にも存在した。アメリカでは化学兵器生物兵器に対抗するために、自国の兵士を利用して実験している。ナチスポーランドで用いたから、それに防御するためなどの議論は出ているが、一方で攻撃性能も試したと考えてよい。約60,000人のアメリカの兵士が実験に用いられたという。戦後は、アメリカ陸軍がLSDを用いた実験や、アメリカ空軍とCIAが協力した例などがある。このあたり、まだ私の知識が少なくて、日本の幻覚剤の発展、利用、戦後のヒロポンなどとどう考えればいいのかわからない。2003年に陸軍の元兵士団体が薬物利用の利用についてアップしたものは、ネット上で読むことができる。

Gazdag, G., Ungvari, G., & Czech, H. (2017). Mass killing under the guise of ECT: the darkest chapter in the history of biological psychiatry. History of Psychiatry, 28(4), 482-488. doi:10.1177/0957154x17724037

ECT(電気痙攣療法)は1940年代から世界各国で用いられた精神疾患の治療法である。統合失調症などの重篤精神疾患に関して、一定の効果があると同時に、大きな事故で患者に損傷が加えられる可能性もある治療法である。1950年代にクロルプロマジンなどの薬物がきっかけになって利用されなくなった。それと同時に、ECTのダークな側面を強調する歴史学も現れた。アメリカの医学史家は ECTを批判する傾向が強いのに対し、イギリス人はまだECTを用いるケースが数は少ないがあることもあって、それほど批判の声が大きいわけではない。
この論文は、オーストリアの医師でドイツと合併したのち3か月訓練をしただけで精神医療の<専門家>になった人物を取り上げている。そして、この人物が、ECTの患者との接点を4つほど増やすことで、患者を殺すことができる機械を作りだして、これを用いて非公然の患者殺しを実施したという話である。非公然というのは、正確にはどう訳されているが知らないが、T4と呼ばれる組織によるナチスの命令によって約70,000人の精神病患者を特別な施設に送って殺し、それが批判されたためにナチスによる患者殺しは中断したが、そのあとにやってきたそれぞれの精神病院での患者殺害である。そこにECT改造版が使われたのか。日本で私が知っている 最先端の医療としてのECTの用いられ方と大きく違うが、いいヒントになる。

ガーデニングとバラにおける保守主義(笑)

25年ほど前の話。イギリスのガーデニングの人気TVで、ガーデニング保守系と革新系の対立がとてもよく分かるのが面白かった。BBC2の金曜夜のTVでは中庸の保守系、それを継いだガーデナーは中庸の革新系。時々ラジカルな革新系が出てきて、アヒルを植物や人間と並ぶ原理で完成されたガーデンが出てくると、ものすごくうれしかった。

その中で保守系の精髄がデイヴィド・オースチンというバラで有名なガーデナーである。本やウェブサイトを見れば、保守系ガーデニング保守系のバラという発想がよくわかると思う。私は学問については革新的、イタリアオペラも革新的、一方ワーグナーはかなり保守的な姿勢を取っていると自分では思っているが、バラについては、オースチンの保守反動的なバラを愛している。私の人生の中で一番保守的な部分だと思う。

www.davidaustinroses.co.uk

新しい写真集はKindle だと1500円くらい。90年代に出た素晴らしい写真集に比べると、古い品種が消えて、新しい品種がたくさん出ていることだろうと思って買ってみました。相変わらず保守的でしたけど(笑)

https://www.amazon.co.jp/English-Roses-David-Austin-ebook/dp/B01LYZHEC2/ref=dp_kinw_strp_1

 

そのオースチンのバラが今年も庭で咲き始めました。静かで深い印象とともに迎える季節です。

f:id:akihitosuzuki:20180430105104j:plain

新国立劇場のフィレンツェを舞台にした「ダブル・ビル」(2019年4月)

www.atre.jp

 

オペラの世界で人気がある歌は、そのオペラ作品が人気があり、作品としてよく上演される中でその歌に出会うものが多い。それと違うパターンで、独立した歌として人気があるけれども、作品を上演することはほとんどない歌というものがいくつかある。有名な歌手のアリア集のCDなどを買うとその歌がよく取り込まれているが、その作品を見たことはめったにないものである。私の意識の中では O mio babbino caro が一番有名なその手の歌である。You Tube を見るとこの歌のパフォーマンスで満ちているが、もともとこの歌を含んでいるプッチーニのオペラは、私は上演されるのを見たことがない。光平さんという日文研の研究員で、若いころはピアノを習い、今では優れた音楽と医学の歴史の研究者になった方と話しているときにも、だいたい合意した。

新国立劇場に新たに就任した監督の大野和士さんが、この曲を含んでいるプッチーニのオペラ『ジャンニ・スキッキ』を上演する。これは「ダブル・ビル」と呼ばれている上演方法でもので、一幕物の短いオペラを二つ選び、それらを続けて一晩に上演するという仕掛けとのこと。もう一つの作品は『フィレンツェの悲劇』という作品であり、O mio babbino caro もフィレンツェのアルノー橋のことを歌っているから、二つともフィレンツェに関する作品になるとのこと。これは私にとっては初めての経験である。東京でこの作品を見ることができるのを楽しみにしている。

物語と自己と激動の時代ージクムント・フロイト博物館での講演

www.freud-museum.at

 

ウィーンのフロイト博物館からメールがきて、ドイツ人で、哲学、歴史、ユダヤ学を学んだ人物であるフィリップ・ブロムの物語に関する講演の広告。5月になってすぐのご講演であるし、ドイツ語であるけれども、歴史の中で私たちのありかたを定義する物語が生成された時代というものがあるという考え方を、もう一度考え直してみようと思っています。ブロムの英語の本をいくつか眺めて、自分の書物のことを考えてみます。

キャサリン妃の早期退院について

イギリスのキャサリン妃が出産してから7時間で退院したことが日本で話題になっているとのこと。私の妻の実佳は8時間で退院して、少し負けたと残念がっています。イギリスでは、出産は夜におきて、次の朝に退院するのが相場とか。日本の基準からみるととても短いです。

日本では産婦人科の病院が1週間から2週間にわたって入院する大規模の出産を仕組むとのこと。これはヨーロッパから見ると特異な医療に見えるらしいです。私がイギリスの医学史研究所で日本の出産の仕組みを説明すると、ちんぷんかんぷんのことを説明しているかのような印象を持ちました。病院が公的な組織か私的な企業かという区別と関係あるのでしょうかね。いい文献をご存知の方は教えてくださいな。

『狂気とモダニズム』再訪のコンファレンス

historypsychiatry.com

 

私がポスドクを始めたのは1992年で、その少しあとに、アメリカのルイス・サースという優れた心理学者と哲学者の Madness and Modernism という著作が、精神医療の歴史を研究する学者の間で非常に話題になった。狂気とモダニズムの類似性、精神分裂病と現代の芸術や文学や思想と類似を論じた素晴らしい書物である。ポーター先生に言われて、私たちは非常に熱心に読んでいた。私は今でも重視している。私個人の本にも何らかのメンションをするだろう。私自身、この10年の仕事に一段落をつけるために、日本の精神医療の歴史の著作のアウトラインを書いた。これは1920年から1945年を中心とするモダニズムの時期の東京の精神医療に関するモノグラフである。そのタイトルにはきっと Madness や Modernism という言葉を入れようと思っている。サースの著作を尊敬していることの表現である。

この作品が発表されてから25年が経った。そのことを記念して、この著作はオクスフォードから再び刊行された。この書物を愛している学者たちが多いので、ダラムの医療人文学研究センターでこの著作をめぐるコンファレンスがあるとのこと。2018年の5月ということで参加はできないが、きっと面白い学会になると思う。

この著作は翻訳に値するだろう。多様な能力を持つ翻訳者ないしチームが必要になるだろうと思う。

<ジークムント・フロイト博物館>のプレゼント、そして「このドイツ語はなんと書いてあるのですか?」(笑)

https://www.freud-museum.at/en/

https://www.freud.org.uk/

オーストリアの精神病医で精神分析を提唱したジークムント・フロイトを記念した博物館は2つ知っている。一つはウィーンで居住し診療していたベルクカッセ19番地に再建された「ジクムント・フロイト博物館」であり、もう一つは最晩年のx年にナチス・ドイツのユダヤ人迫害から逃れてロンドンに住んだ時の屋敷を利用した「フロイト博物館」である。ロンドンのフロイト博物館はさまざまな企画を行う楽しいところであるが、ウィーンのジクムント・フロイト博物館は、先日の寄付のお願いの時に初めて知った。会員になることもできるようになって、めでたく会員となった。35ユーロというから、5,000円くらいの寄付である。
 
そこが入会記念のマテリアルを送ってきた。フロイトが作家のシュニッツラーに送った手紙の複写と英訳である。シュニッツラーは私が大学一年の秋学期のドイツ語の授業で高辻先生に習って初めて知った作家である。読んだ作品は Ein Abschied という短編で、奥が深い文学を教えられた思い出の作品である。安っぽい教育法では絶対に思い浮かばない作品でもある。その作家にフロイトが書いた手紙の複写ということで、喜んで読もうとしてみた。これが全く読めない。手紙の末尾の署名は Freud であるが、手紙の冒頭に置く宛名が読めない。英訳では Dear Dr Schinitzler となっている。シュニッツラーがフロイトの先輩でウィーン大で学んで医師の資格を取り実際に仕事をしたことが関係あるのだろうか。それをドイツ語にすると、私が知ってそうな単語があるはずだし、人名は読みやすいはずである。ところがそれが読み取れない。
 
皆様の中でドイツ語の手稿が読める方、たくさんいらっしゃると思います。読める方、教えてくだされば。
 

f:id:akihitosuzuki:20180421095352j:plain