世帯と共同体と精神病院―17・18世紀オランダの大都市から

http://journals.sagepub.com/doi/pdf/10.1177/0957154X17736236

 

History of Psychiatry の2018年3月に刊行された29巻1号に掲載された面白い論文である。精神疾患の患者の世帯に関して、17・18世紀オランダの史料を調べたもの。一つは貧困対策としての収容施設への入院申請状であり、これは私も重点的に読んだことがある。もう一つは、私がイングランドでも日本でも読んだことがないタイプの遺言状史料である。これは、ある個人が死ぬ前に、自分の家族の精神疾患の患者の取り扱いについての指示を出したものである。一定の枠組みがあるけれども、色々なことが分かってくる史料だろう。

このような史料から、世帯の役割、収容施設との関係、そしてしばしば言及されている知人や隣人の重要性、それから同じ建物に居住している被雇用者や住民などの重要性も指摘されている。精神病院がなかった地域において、世帯を軸にして、その内部の構造の複雑さ、そしてその周囲の知人隣人の関係などを指摘したものである。とても面白い論文で、いま書いている記述の冒頭の近世日本についてマテリアルが少ないけれども面白い導入を書くのにとても役に立つ。一方で、そこでケアと感情が表現されているという内容について、もちろん感情表現は重要だけど、遺言状と収容施設への入院申請に表現されている感情については、何を書くべきかというフォーマットが要求する感情記述があることが重要だと私は思う。慈善事業と福祉事業では、どのような申請者になるかが変わってくる。慈善事業に申請するときには、それらしい感情を織り込むだろうし、福祉であれば、それは自分の権利であると考える。そこに書き込まれる感情は変わってくるのかもしれない。

英語で書かれたインドネシアの医学史の書物をインドネシア語に翻訳するプロジェクト

uk.gofundme.com

 

Vivek Neelakantan 先生が、スカルノ時代のインドネシアの科学と公衆衛生、そして国家建設に関する最初の英語の書物を刊行されました。オーストラリアのシドニー大学のハンス・ポルス先生のご指導の産物です。同書は素晴らしい書物ですが、英語で書かれているため、インドネシアの学生たちにアピールしないという部分もあります。そのため、世界中から翻訳のための基金を募って、インドネシア語に翻訳するというプロジェクトです。

私が考えたことがない面白いプロジェクトであること、英語と現地語の問題を解決していこうという重要な問題であること、25米ドルの寄付でネーラカンタン先生のサイン入りの書物一冊がいただけることなど、賛成する要素をたくさん持っております。クレジットカードで支払いすることができます。皆さま、どうかご協力いただけますよう。

 

 

イングランド中央政府の精神医療史料 1800-1913

Lappin, James. "Central Government and the Supervision of the Treatment of Lunatics 1800-1913 : A Guide to Sources in the Public Record Office.

精神疾患に関して、イングランドウェールズ中央政府が所蔵する史料を、1800年から1913年にわたってリストとしたものである。この時期にはアサイラムという地方自治体が作った施設が重要な中心になり、カウンティ―などの地方自治体の公文書館に行くと、精神病院の記録が桁外れの規模で存在していた。中央政府地方自治体の史料の双方をよく見た青春時代だった(笑)

ラッピン先生の史料一覧といったが、私が持っているのはオリジナルではなく、1996年に改定されてウェルカム図書館が刊行していたものである。ラッピン先生のオリジナルがタイプ原稿なのか印刷なのかわからないが、少し前に書いたこの記録が、研究者たちの役に立っていることが分かり、多少改定してワードで打ち直して1996年にウェルカムが刊行したある意味で第二版である。

 

映画『第七の封印』(1957)

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Seventh_Seal

 

今日の歴史学Iは一学期に一回のブレイクの日である。英語の講義もないし、学生がそれを要約するエッセイもないので、教員にとっても学生にとっても負担が非常に少ない。講義の代わりに映画を見せ、それについて短い感想を書けば、その回のレポートは満点がとれるという、非常に楽な時間。

見せる映画としては先週まとめた中世のペストに深く関連するバーグマンの『第七の封印』(1957)を選んでみた。時間が90分であることもあって、通常の授業にぎりぎりで入る。映画の内容の適正については、私はいいと思う。たしかに、歴史的な正しさの問題で、中世のスウェーデンに鞭打ち苦行団が来たかとか、黒死病の時に魔女裁判が起きたかどうかというのは、重要なまちがいである、思想的な問題でも、そこで全面に出ているのはキリスト教の思想というより実存主義的な何かである。それにもかかわらず、歴史と映画のいい組み合わせがあるように思う。

私が知らなかったのだけど、2014年にDVDが発売されたので、3000円くらいで買って手元に置いておくといいのかもしれない。教室で上演するために図書館で借りたものは、音声がスウェーデン語で字幕が日本語というもので、英語なんて一か所でも使っていなかった。うううむ(笑)

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「感染症と人類社会―いくつかの文学を手掛かりに」ー『医学史と社会の対話』の新しい記事

igakushitosyakai.jp

 

日本学術振興会から資金をいただいている「先導的人社」のプロジェクトである「医学史と社会の対話」。今回の新しい記事は、詫摩佳代先生に書いていただいた、感染症に関する国際協力を分析する記事です。その背景にボッカッチオ、デフォー、そしてカミュたちのペストに基づく文学を置くという多彩な魅力も持っております。ぜひお読みくださいませ!

ジュネーブのWHO関連のアーカイブズには一度リサーチに行ったことがあります。事務の記録が数多くあり、20世紀の前半から日本の国際衛生関連者が活躍していたありさまが印象に残っています。それと同時に、あのアルプスの庭に大きなクジャクがいたという記憶があり、それは私の妄想なのか事実なのか迷っています(笑)

 

世界史上初の女性同性愛者であるアン・リスターの「秘密の日記」について

長沖先生と合同で行っている「ジェンダー論」という学部1・2年生向けの授業がある。現在であればジェンダー論を専攻で学んでジェンダー論を教える若い先生がたがたくさんいるのだろうが、長沖先生と私が20年ほど前に合同で「ジェンダー論」を作ったときには、そういう洗練の世界ではなかった。長沖先生は生物学の研究者、私は医学史の研究者で、そこからなんとかジェンダー論を作ろうという話で、どちらも学者としてジェンダー論を学んだわけではなかった。医学史の話でいうと、女性の患者や妊婦を分析することや、医師たちが女性に関する性の概念をどのように医学理論に導入したかを吟味することが重要な主題であったため、合同で二期分の授業を作ることは数年でなんとかなったテーマである。
 
その中で、割と初期に導入した同性愛に関する主題で、女性の同性愛も一つ入れようと思った事例が、アン・リスターである。これはイングランドはヨークの地主階級の女性で、19世紀の前半に活躍した人物で、記録上確かめることができる世界史上最初の女性同性愛者ということで名高い。史料も非常にソリッドで量も膨大であり、ユニセフ世界遺産に指定されたり、非常に充実したウェブサイトが続々と上がったり、2010年にBBCが彼女の人生をかなり正確に復元した90分のドラマ 『ミス・アンの秘密の日記』を作成されたりしている。15年くらい前にこの話題を授業に取り入れたときには、こういったものはいっさいなく、Helena Whitbread, I Know My Own Heart: The Diaries of Anne Lister 1791–1840 (Virago, 1988) という本だけで授業を作らなければならなかった。楽しい仕事ではあったけれども、現在のウィキペディアの情報やあちこちにある強力なサイトや情報を見ると、幸福だけど複雑な気持ちになる。肖像画については、必ず目にする茶色の服を着た肖像画は、21世紀に作られたリプロダクションであるということは、それが作り出されるよりも早く授業を始めたおじさん性の発揮である。ううむ(笑)
 
話のコアは、アン・リスターの日記である。彼女がつけた400万語ほどの膨大な日記があり、その六分の一くらいが暗号で書かれた女性との同性愛の記録であり、1980年代にとうとうその暗号を破ることができたという史実である。そのような史料の一部はネット上に公開されており、リスターの暗号を読むコードもネット上に公開されるので、読むときっと楽しいと思う。歴史の史実が当時つくられた暗号で書いてあるというのも良い話である。私自身も子供の頃に暗号小説ものが大好きだった。エドガー・アラン・ポーの『黄金虫』はかなり好きな話だった。1980年代にサイエンティフィック・アメリカンなどで楽しい暗号の話を読んだこともある。そのサイエンティフィック・アメリカンに連載されていた暗号の話が何なのか、よく憶えていない。明日のジェンダー論の授業を少し手直しして、午後は時間があるので、暗号論の本を数冊買って午後の時間を過ごそうと思う。
 

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以下サイトから引用したリスターの日記。1818年5月28日のエントリー。

www.annelister.co.uk

<むんてら>と Mundtherapie について

間中喜雄. むんてら : 医者と患者. 創元社, 1963. 創元医学新書.
 
「むんてら」というよくわからないフレーズがある。まずもともとは何という語なのか、どういう意味なのか、いつ使われ始めたのか、そういう基本的なことも私にはよくわからない。日本で流通しているいくつかの節のうちの主な説は、これはいずれもドイツ語 の Mund と Therapie という語を組み合わせたもの、der Mund は口(くち)という意味で、die Therapie は治療という意味。合わせると、医師が患者の病気を治すときに、広い意味で患者に言うことばが治療的な効果を持つと考えることである。患者との対話による治療で、原型はドイツ語であるという。
 
ただ、ドイツ語にはこの Mundtherapie という語が存在しなかった。Der Mund を引くと、言葉というより口腔という意味合いが強い。そこから、これは日本人がドイツ語から作った和製ドイツ語であるという考え方が出てきて、これが主流派の考えだと思う。私が聞いていたことは、だいたいこんなことだった。間中喜雄『むんてら』もだいたいそういう線で「むんてら」を考えている。間中は別の考え方も批判している。高田安太郎という医師で言語学者が考えた説で、ヒマラヤ山中のレブチヤ族の言語に「むんてら」という言葉があり、これが「処理する・とりつくろう・みせかける」などの意味の日本のむんてらの語源だという考え方もあるとのこと。確かに一部を正しくとらえているかもしれないが、レブチヤ族の言語だけでは医師の間に「むんてら」という考えが広まらないだろう。だいた、Mundtherapie とい、わりといい加減な和製ドイツ語だと思っていた。
 
ところが、ドイツ語に Mundtherapie という新語が現れたのである。これは、日本の「むんてら」と意味がかなり違う。私がぱっとみた範囲では、ダウン症の小児を持った両親のためのガイダンス書のタイトルに用いられている。書物はAlexandra Benardis-Schnek, Mundtherapie bei morbus Down: Ein Ratgeber für Eltern von Kleinkindern (Ratgeber für Angehörige, Betroffene und Fachleute) Taschenbuch (2005).  である。あるいは、ある医師のテクニックとして、ダウン症などに Mundtherapie を用いており、Physiotherapie と対比されている。映像から見ると、口腔に刺激を与えている感じがある。Mund が口腔だという意味は正しいのかもしれないが、たぶん日本よりも遅く 、そしてきっと鮮明に違う意味で、Mundtherapie という語をドイツが作ったのである。
 
 
この日本とドイツの Mundtherapie についての不思議なねじれた現象がどんな意味を持っているのか、よくわからない。もともと、日本の「むんてら」が本質においていい加減な概念であり、間中の書物はいろいろな適当なことが書き並べられているものである。一方で、ドイツの新しい Mundtherapie はどういうもので、これからどうなっていくのか、チェックしておこう。
 

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