『歴史の中の感情』を頂きました!

櫻井文子先生から、訳書を頂きました。ウーテ・フレーフェルト『歴史の中の感情』です。私はまだ勉強していませんが、感情の歴史はとても重要な主題だと思っています。勉強を始めさせていただきます!

櫻井先生はケンブリッジ大学の HPS (History and Philosophy of Science) に留学され、19世紀のドイツの科学史に関する優れた博士論文を単著として刊行されました。Science and Societies in Frankfurt am Main (London: Pickering & Chatto, 2013) です。現在は専修大学の先生でいらっしゃいます。これからをリードする新進の学者の一人です。

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フレーフェルト『歴史の中の感情』、櫻井文子先生の訳です!

 

近現代中国の精神医療の歴史

h-madness から。

現代日本の精神医療で何が起きていたのか。私が向き合っている大きな問題です。近現代中国で何が起きたのかを知ることは、とても大きなヒントになると思います。

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シカゴ大学出版局からの書物の表紙です!



 

The Invention of Madness: State, Society, and the Insane in Modern China. University of Chicago Press 2018.

Throughout most of history, in China the insane were kept within the home and treated by healers who claimed no specialized knowledge of their condition. In the first decade of the twentieth century, however, psychiatric ideas and institutions began to influence longstanding beliefs about the proper treatment for the mentally ill. In The Invention of Madness, Emily Baum traces a genealogy of insanity from the turn of the century to the onset of war with Japan in 1937, revealing the complex and convoluted ways in which “madness” was transformed in the Chinese imagination into “mental illness.”

Focusing on typically marginalized historical actors, including municipal functionaries and the urban poor, The Invention of Madness shifts our attention from the elite desire for modern medical care to the ways in which psychiatric discourses were implemented and redeployed in the midst of everyday life. New meanings and practices of madness, Baum argues, were not just imposed on the Beijing public but continuously invented by a range of people in ways that reflected their own needs and interests. Exhaustively researched and theoretically informed, The Invention of Madness is an innovative contribution to medical history, urban studies, and the social history of twentieth-century China.

 

 

 

『超男性』の癲癇とマスターベーションと患者自身

Jarry, Alfred. 超男性. 渋沢龍彦訳. 白水社, 1989.
 
ジャリ『超男性』は、若い頃に不思議な魅力を持っていたけれども、数十年間にわたって読んでいなかった。それを久しぶりに読んでみた。色々と面白かった部分を思い出し、昔読んで面白かった部分が違って見えて面白いところなどがあった。テオフラストゥスの薬の話も読んでおかないと(笑)
 
研究の関係で一番面白かったのは、冒頭の性交回数を議論している部分である。男性が一日に何回できるかということを議論している部分で、ある医者がパリのビセートルという病院で、白痴の男性が自慰を数えきれないくらい繰り返して起こすことができるのを見た、という話をする。癲癇で、まだ生きているが、生涯を通じて、ほとんど間断なく孤独の性行為にふけり続けていると書いている。
 
これはパリの精神病院で起きていると描かれている。実際、このような患者はごく少数だがロンドンや東京の精神病院には実在した。しかし、どこの街であれ、そのような話をこのような枠組みでするのは、倫理的にもちろん良くない。
 
話が面白くなるのは、アルフレッド・ジャリ自身が、アルコール中毒精神疾患に強く影響されていて、それを作品にも反映させていたということである。父親はアル中で早く死に、母親は精神病院に入っており、自分もアルコール中毒で34歳くらいで死んでいる。そのようなライフスタイルから出てきた、精神病の患者の様子であることをきちんと押さえておかなければならない。
 
今日の大学院の授業で、19世紀末のベドラムのヴォランタリーな患者の様子を描いた素晴らしい論文を読んでいることもあって、このことをメモしておいた。

ブルーノ・タウトと自己と結核と狂気

先日京都に行って桂離宮を楽しみ、ブルーノ・タウトのことを思い出したので、『日本 タウトの日記』を読んでみた。1933年に日本に亡命し1936年にトルコに移住するまでの日記である。病院の建築について何か言っていないかと思って眺めてみたけれども、患者と自己と身体と疾病という重要な点に関してとても重要なことを書いているのでメモ。
 
日本滞在中に色々なことを書いているが、1936年になると喘息を訴えるようになる。その喘息は非常に症状が重く、薬が必要である。アドレナリンを注射してもらうと、「今まで咽喉をしめつけていた指が急に離れでもしたかのようにさっぱりする」という感覚を得る。それを、「二人の<私>というものを感じた、つまりいま一人の<私>が元からの<私>の上に水平に重なって淀んでいるような感じである」という。「とにかく心理的に絞め殺されるような気持ちだ」という。そして、「この不安が原因になり、今度は口をぱくぱくさせながら痙攣的に息を吸込むようになると、もう発作の立派な症候である」という。
 
これが原因になって、結核精神疾患の問題を取り上げる。1936年の8月であるが、築地の聖路加病院で大野博士の綿密な診察を受ける。面白いことに、レントゲン検査をすると、肺に結核感染の痕跡が二か所あり、いずれも全治はしているが、瘢痕が残っていると聞く。タウトとしては一驚を喫したとのこと。いったい肺結核になる原因があっただろうか。私はこの病気に掛かった憶えさえない。こうなると迷信にでも頼りたい気持ちになる、という。
 
そして8月の末に、精神疾患の問題にはいる。「まるで気でも狂ったように鳴きたてる蝉」が背景になり、ジャパン・アドヴァタイザーという新聞で、日本の精神病者に関する記事が載っていたという書きだして、1930年代半ばの日本の精神医療の状況を書き留めたあと、日本には、何か精神に故障があるのではないかと思われる人が、知人にもいるような気がしてならないという記述がある。こちらからの手紙に返事をよこさないのに、あとでたまたま会うと、また親友のように振る舞うのは、きっと精神的故障の所為に違いない、と書く。そして、それをスウェーデンの反対であるというように書く。この部分は読みにくい箇所である。「こちらからの手紙に返事をよこさないのに、あとでたまたま会うと、また親友のように振舞うのは、精神的故障の所為に違いない」というのは、激しく反省した。
 
 

「けいそうビブリオフィル」と18世紀中葉のアルブレヒト・フォン・ハラーの実験を追試した都市の分布

keisobiblio.com

 

色々なお仕事が遅れている一つの理由は「けいそうビブリオフィル」に連載している「医学史はどんな学問か」を書いていたからです。今回は18世紀の啓蒙主義で、あと少しで完成するところまで来ました。

今回は18世紀の啓蒙主義の時代である。ヨーロッパ全体に影響力を与える個人はいないが、各地で比較的新しい個性を発展させて、それぞれの個性がある医学を発展させた教授たちという枠組みで書いた。オランダ、ドイツ、イタリア、スコットランド、フランスについて別の節にするのが自然だろうと思い、それぞれの標準的な英語文献を読んでまとめた。
お世話になった本の一冊は、アルブレヒト・フォン・ハラーの実験を、レトロアクティヴに業績評価をした本である(笑)ハラーはもともとはスイスのベルンで生まれ、ドイツのゲッティンゲンの解剖学教授として非常にインパクトが強い実験を1752年に行い、それがヨーロッパのあちこちの都市で追試の実験の対象となった。これが「あちこちで」という形ではなく、きっちりしたリサーチを行った新しい視点の業績である。ヨーロッパのどこで行われ、それぞれの地域でどのような違いがあるのかを分析した素晴らしい成果である。Steinke, Hubert. Irritating Experiments: Haller's Concept and the European Controversy on Irritability and Sensibility, 1750-90. Rodopi. 2005. という書物である。
1752年の実験で、その翌年の 1753年から10年ほどを見ると、まず数的に最も多いのがイタリアであり、それにフランスとドイツが続く。ドイツはほぼ半分がハラー自身が教えていた新設のゲッティンゲン医学部である。それから実験のあり方だが、ドイツでは教授と医学生というパターンが最も多いのに対し、イタリアでは内科医、外科医、医学生ではない知識人、医学関係ではない知識人や他の教授たちが多いという特徴がある。表はこのようになっています。
この書物を本気で買おうとすると15,000円。日本の大学図書館では専修大学だけが所有している。きっと石塚先生が買ってくださったのだろう。また、助けてくださった廣川先生にも心から感謝いたします。素晴らしい書物でした。
件数 都市名
イタリア 27 フィレンツェ6、ローマ5、ボローニャ3
フランス 17 パリ8、モンペリエ6
ドイツ/スイス 15 ゲッティンゲン7、バーゼル3
オランダ 9 グローニンゲン4、ライデン4
イギリス 6 エディンバラ5
その他 6 プラハ3、コペンハーゲン2

 

 
 

 

17世紀の男性器自傷の研究論文

academic.oup.com

Social History of Medicine の最新号。今回の人気は17世紀のイングランドの男性器自傷という現象の位置づけでしょう。古代のオリゲヌス、中世のアベラール、17世紀のロバート・バートンの『憂鬱の解剖』、それに近世の多くの医学書などからの史料。長期のいい視点の組み合わせだと思います。これは無料公開ですのでぜひお読みください!