『超男性』の癲癇とマスターベーションと患者自身

Jarry, Alfred. 超男性. 渋沢龍彦訳. 白水社, 1989.
 
ジャリ『超男性』は、若い頃に不思議な魅力を持っていたけれども、数十年間にわたって読んでいなかった。それを久しぶりに読んでみた。色々と面白かった部分を思い出し、昔読んで面白かった部分が違って見えて面白いところなどがあった。テオフラストゥスの薬の話も読んでおかないと(笑)
 
研究の関係で一番面白かったのは、冒頭の性交回数を議論している部分である。男性が一日に何回できるかということを議論している部分で、ある医者がパリのビセートルという病院で、白痴の男性が自慰を数えきれないくらい繰り返して起こすことができるのを見た、という話をする。癲癇で、まだ生きているが、生涯を通じて、ほとんど間断なく孤独の性行為にふけり続けていると書いている。
 
これはパリの精神病院で起きていると描かれている。実際、このような患者はごく少数だがロンドンや東京の精神病院には実在した。しかし、どこの街であれ、そのような話をこのような枠組みでするのは、倫理的にもちろん良くない。
 
話が面白くなるのは、アルフレッド・ジャリ自身が、アルコール中毒精神疾患に強く影響されていて、それを作品にも反映させていたということである。父親はアル中で早く死に、母親は精神病院に入っており、自分もアルコール中毒で34歳くらいで死んでいる。そのようなライフスタイルから出てきた、精神病の患者の様子であることをきちんと押さえておかなければならない。
 
今日の大学院の授業で、19世紀末のベドラムのヴォランタリーな患者の様子を描いた素晴らしい論文を読んでいることもあって、このことをメモしておいた。