ドクダミと18世紀オランダ博物学と白檀の香り

powo.science.kew.org

 

梅村甚太郎. 民間薬用植物誌. 復刻版 edition, 科学書院, 1989.

草川俊. 野菜・山菜博物事典. 東京堂出版, 1992.

昨晩はバーミンガム大学の医学史家である Jonathan Reinarz と丸の内でお寿司を食べるという楽しい時間を過ごした。そのときにドクダミの話が出た。もともとは広島の原爆投下のあと、母親がドクダミを取ってきては食べたというような脈絡だったと記憶している。そこで、自分がドクダミのことを意外に知らないことに気がついて、少し調べてメモ。反省して、少し調べてみてメモ。

ドクダミは中国語では魚腥草とも表現されている。「腥」は生臭いという意味。ベトナム語での意味も「魚の野菜の葉」という意味になる。英語でも fish mint と呼ばれている。そこで魚との連結が強調されている。日本でもドクダミは確かに存在したし、強いインパクトがあるが、魚との連結が強調されていた記憶はない。ポイントは「毒を抑える」ことであり、それが最もよく使われている「ドクダミ」と深く関係がある。梅村が大正期に集めた日本各地の民間薬用植物誌においては、女性の陰部に塗り込む、胎毒を除去できる、虫に刺されたらそこに塗るなど、他の毒を抑えるという感じが確かにある。草川によると、ドクダンベ、ヘビグサ、ジゴクバナ、テグサレといった方言があり、この多くは人に嫌われる意味である。もちろん多くの化学成分を持っているが、独特の臭気がある。魚と臭気ということである。

少し驚いたのが、イギリスのキューの植物園の記事である。18世紀にオランダが日本に派遣した医師であるスウェーデン人のツンベルクが最初に報告した植物であるとのこと。それはオレンジの香りがするとのこと。ちなみに中国側の同じ種類はコリアンダーの香りがするとのこと。香りとしては、生魚にも言及しているが、メインは、レモン、コリアンダー、ビャクダンである。ドクダミではまったくない(笑)

 

母乳原理主義と活動主義と光合成

www.oed.com

 

今日のOEDは lactivist, n. lactation と activism の二単語から形成された英語で「母乳原理主義者」というような意味である。人工乳や哺乳器などを使う人工的な哺乳を批判し、母親が乳児に母乳を与えることだけに絶対的な価値を唱えて政治的な活動をする人々である。母乳が一番の価値で、人工的な授乳は二次的なものだという主張は、結構それなりに分かる。

しかし、この母乳原理主義はもう一歩進んでいる。公共の場で母乳を与えてもよいという主張である。極端な言い方をすると、朝の山手線で母乳を与えていいかとか、学生の試験の時に女性教員が母乳を与えていいかという話である。意外なことに、公共の場で乳児にお乳を上げることは 、哺乳びんだとOK で、母乳だと眉を顰める人が多いというよく分からない部分もある。ここは議論が分かれるところだろう。さすがに activism がつくものだと感心する。eco-activism や student activism と重なっている。

もう一つ、これはまったく知らなかったことであるが、 actinism という単語がある。日本語だと 化学線作用という訳語となっている。英語から訳すと、光などの電磁の放射が科学的な変化を引き起こすことを actinism という。写真が撮られて現像されたり、光合成が起きることをさす。さらに、activism が政治的な意味を持つのは20世紀後半で、前半には第一次世界大戦期にドイツを支えるというような意味があったことも知らなかった。OEDの底力である。

占星術と体液論と20世紀医学

www.forbiddenhistories.com

 

先日紹介された Andreas Sommer 先生のウェブサイトである Forbidden Histories. そこに掲載された面白い記事があった。メモというより私の説明かもしれない。 

占星術と体液論は、古代・中世・初期近代の医療の核であった。同時代の自然哲学に支えられ、実際に医師たちが使い、最も重要なことだが、教養ある患者たちが需要するものであった。この事態をどのように解釈するかという問題がある。ことに、HSS (Humanities and Social Sciences) の医学史家にとっては、現在の医師たちや進歩主義的な過去を見下すような態度を示す人々と話すときには、この問題は非常に重要である。現在と較べて治療力が低い体系の医療を行っていた過去をどのように捉えるかである。

体液論は人間の四つの体液の考えだが、この背後にあるのは四元素と呼ばれる地水火風が、どのように個人の身体と精神に影響を及ぼすか、そしてその乱れをどう直すかという考え方である。その四元素を表現するために体液も四つあるという考え方だという前提を受け入れると、とてもよくできている。ことに、熱さや冷たさ、湿気があるか乾いているかという、直接的な感覚が支える自分や他人の状態である。これを頭に入れて症例誌を読むと、半年くらいで体液論がよく分かるようになる。これはどの程度本当かどうか分からないが、東大仏文の故渡辺一夫先生は調子が悪いから瀉血をしてほしいと本気で言っていたという。私はそれと同じようには思っていないが、現代医療の恩恵を知らないのであれば、たぶん瀉血や浣腸をしたいという感覚的な実感を持つと思う。

占星術も基本的に同じで、天体と世界の様子が、どのように個人に影響を及ぼすかという枠組みである。ただ、私はこのタイプの史料を本気で読んだことがないし、これは中世においても議論が分かれた部分である。でも、体液+天体は私はまだ古代から継続していて、色々な脈絡で現れるものだと考えている。

体液論や占星術の考えと、20世紀の治療力が非常に大きくなった医学と比較するときに、このようなことを考えておくと、意味がある議論ができるだろう。

白いチリメンギンバイカが咲きました!

Dioscorides Pedanius, of Anazarbos and L. Adams d Beck. De Materia Medica. 3rd, rev. ed. edition, vol. Bd. 38, Olms-Weidmann, 2017. Altertumswissenschaftliche Texte Und Studien.

Opie, Iona Archibald and Moira Tatem. A Dictionary of Superstitions. Oxford University Press, 1989.

 

数日前にピンクのチリメンギンバイカ(笑)が咲いたというどうでもいい記事を書きましたが、今朝は白いチリメンギンバイカが咲きました。最初に咲く花は幾何学的な模様であることを強調するのですね。ディオスクリデスはガレノスやアリストテレスの自然哲学を利用して議論をして、地方の迷信では魔法やお祈りや呪術と結びついています。これはもちろん myrtle なのですが(笑)

 

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チリメンギンバイカ(笑)これだと幾何学的な模様が強調されるのですね。

 

「数人」と several persons と mehrere Personen

山口明穂. 日本語を考える: 移りかわる言葉の機構. 東京大学出版会, 2000.

日本語とドイツ語の問題を考えて少し本を読んだら、一つの面白い視点を思いついた。「数人」「数日」が持つ「数」の概念と、英語の several 、ドイツ語の merher という似たような概念を較べてみようという発想である。

英語の several から入ると、数人とか数日とか訳せばいいのだけれど、具体的にその時の数字は何かという問題がある。ぱっとみた感じでは、考え方は二つあって、一つは、2や3より大きくて、多数よりも少ないという考えである。実佳はこの考えで、5,6,7くらいと言う。これが英語の主流の考えであり、OEDを引くと、古いものも新しいものも「2・3よりも大きく、しかし多数ではない」と書いてある。それに対して「2より大きく、多数ではない」という理解も存在している。私がそうである。私は、3についてはもちろん、2でも several という言葉を使っても間違いではないと考えている。これはもちろん変人だからなのかもしれないけれども(笑)、現代英語では "more than two but many" と説明されている。ここで more than を以上と考えると、いけないのは1だけである。簡単に言うと、2と3を否定するタイプと、1はだめ、2からは使っても可、それからとても大きいとだめというタイプがある。ここも調べておこう。

山口の本の冒頭が日本語の「数」の概念である。日本語では、現代では「数人」「数杯」「数日」というものは、少ないというタイプがある。しかし、古代や中世までは、数という言葉は「多数の」という意味を持っていた。平安時代徒然草では「あまたの」「おおくの」という意味が与えられているし、日葡辞典では「数日」を「多くの日数」と訳せる Muitos dias と説明している。それ以外にも「数」という言葉がすべて「たくさん」と説明されているという。しかし、次第に少なさを強調するようになったという。

ドイツ語と日本語を訳すことを考えるときに、ドイツ語の mehrere にあたる部分に注目できないだろうか。このような概念が変わるということを見てみるといいのかもしれない。

一方中国語では「三」が多数という意味があるという。ここも日本の漢方医学と医学の問題を複雑にしている。うううむ(涙)

精神疾患と犯罪者とテロリスト

これは別の仕事だが、精神疾患と隔離を必要とする犯罪者の問題を考えているなか、JSTOR の週間記事でテロリズムの話があったのでメモ。

犯罪と精神疾患をどう区別するかという問題は非常に難しい。私が具体的に取り上げていることは、制度の外で起きていた精神病院への隔離というのは、かなりの少数派であったが、実際に存在していた。そのような隔離が継続されるためには患者は何をしてしまうのか、逆に、その隔離をやめて解放するには何が必要なのかということを考えることである。

ある行為を犯罪と呼ぶか精神疾患と呼ぶかは、その事件を起こした人物の人柄にもよるし、私たちの判断基準にもよるし、あるいは日本が死刑がある制度を持っているかどうかということにもよるのだろう。麻原彰晃の行為自体は犯罪と呼ばれることにふさわしく、相模原障害者施設殺傷事件の殺人者は精神疾患の結果であるという色彩が強い。戦前の日本で言うと、特高警察は、共産党無政府主義者などとともに精神疾患の患者を把握することが仕事の一つであった。実際、そのような患者を精神病院に隔離した実例もあった。

この記事では、アメリカのマスメディアが犯罪者を呼ぶのに精神疾患と呼ぶかテロリストと呼ぶかという問題を取り上げている。ことに、犯罪者がイスラム教徒であるときには、そうでない場合より500%も多い割合で「テロリスト」と呼ばれるとのこと。6倍である。うううむ。

 

 

www.washingtonpost.com

ラテン語と源氏物語と腹話術の Youtube

しばらく内臓の位置などを見ていて、その中で複雑な構造のラテン語の腹という意味での venter という語に出会った。また、BBC源氏物語の番組を見ていて、そこで女の筆者が男性の心理を語る構造を ventriloquism と呼んでいた。 これは、ラテン語の「腹」の venter +「 話す」という意味での loqui の結合である。日本語では腹話術と訳す。ちょっとventriloquist を調べていて、BBCとは違う文脈だと思うけれども、youtube で腹話術の映像を見つけた。すごいものだなあと感心する。

 

wikidiff.com

www.bbc.com

 

www.youtube.com

 

https://www.youtube.com/watch?v=2e0P8TL1PtI