スペインのハンセン氏病

20世紀初頭のスペインに、ハンセン氏病患者のコロニーが設立された時に用いられたメタファーを分析した論文を読む。
 1909年に、スペインのアリカンテ県にハンセン氏病患者のコロニーが設立される。スペイン近代化運動の産物であるという。1898年にアメリカとの戦争に敗れて重要な植民地の多くを失ったスペインでは、自らの「後進性」を改良する運動が盛り上がる。この運動が取り上げたもののひとつが、衛生統計の国際比較が示すスペイン社会の不健康さであり、ハンセン氏病もこの脈絡で着目された。スペインの近代化運動の一翼を担った「社会カトリシズム」は、キリスト教の立場から当時の社会の「病理」を解釈するとともに、活発な社会再生運動を展開した。その一環がハンセン氏病患者のための施設建設であった。こういった宗教的イデオロギーを背景に、ハンセン氏病患者の救済は、強烈なメタファーで語られる。
「人々は汝を見捨て、汝のことを忘れ去った。忘れ去らないにしても、はるか遠くに離れている。しかし、汝を過去において愛し、現在も愛し、とこしえに誠の心で接するものが一人だけいる。それこそ、イエスの心臓である。」ハンセン氏病患者の身体の崩壊を強調し、孤立と追放、社会的な死をこれでもかこれでもかと強調した上で、救いの手をさしのべるものの気高さと偉大さを強調する、というメカニズムのメタファーの中に、ハンセン氏病患者と、彼らを収容する運動を位置付ける。
収容され追放されるハンセン氏病患者をめぐるメタファーは、とても面白い。藤野豊の昭和期の日本のハンセン氏病についての記述を読んだ時も、ハンセン氏病患者に自己犠牲的ヒロイズムを要求する強烈なメタファーが、とても記憶に残った。(「俺が捨石になって~」とか、居酒屋でくだを巻いているサラリーマンの会話が耳に入ってくると、あまり変わらないな、とよく思う。)この時期のスペインの患者たちが組み込まれたメタファーの中では、彼らは日本の患者たちよりもはるかに受動的な役割しか与えられていないような印象をもつけれども、どうなのだろうか。

文献: Bernabeau-Mestre, Josep and Thresa Ballester-Artigues, “Disease as a Metaphorical Resource: The Fontilles Philanthropic Initiative in the Fight agaist Leprosy, 1901-1932”, Social History of Medicine, 17(2004), 409-422.