ダンディズムとハシシ

 ボードレールのハシシ論を読む。文献は Baudelaire, Charles, On Wine and Hashish, forword by Maraget Drabble, trans. By Andrew Brown (London: Hesperus Press, 2002).

 エスキロール門下の精神科医の一人、モロー・ド・トゥールはハシシを精神病の治療に用いることを思いついて、1845年に今では古典となった書物を出版した。その過程でハシシの精神作用を経験した彼は、ハシシの効果を体験してみたいパリの人々を集めて「ハシシ・クラブ」をはじめる。彼の監督のもとでハシシを吸った人々には、テオフィール・ゴーティエもいて、ゴーティエのハシシの記述は有名だという。その人々の中にボードレールもいて、ボードレールがハシシの作用について書いた二編の評論を英訳したのが本書である。

 ボードレールはハシシを試したが、クラブでは参加者というよりむしろ観察者だったという。そのせいか、ハシシがもたらす精神作用についてのボードレールの記述には臨場感が欠けていて、つきはなした書き方をしている。またワインとハシシを較べて、どちらも人間の詩人的な性格を高めるものだが、ワインの方がはるかに優れているという。ワインは労働の友であり、人を社交的にするのに対し、ハシシは人間の意志を破壊し、だれた気分にさせ、孤独な悦びしか与えない。少し行間を読むと、ハシシに対するボードレールの軽い失望感のようなことも伺える。

 ボードレールが自ら経験していたハシシの精神作用を、他の作家たちのように極彩色の言葉で表現しなかった理由が面白かった。それは「ダンディー」がすることではないからだそうである。しばらく前に、卵をおでこで割ることがダンディーかどうかという話題を低人さんが提供した。ドラッグでラリってもはしゃがないのがダンディーというのは分からないでもないけど、ダンディズムの道を究めた方々から見て、どうなのですか?