精神病院の発展

必要があって、医学史の教科書の中で、イギリスの精神病院の発展を説明した章を読む。文献は、Andrews, Jonathan, “The Rise of the Asylum in Britain”, in Deborah Brunton ed., Medicine Transformed: Health, Disease and Society in Europe 1800-1930 (Manchester: Manchester University Press, 2004), 298-330.

イギリスを例にとると、施設に収容されている「狂人」(歴史的に正確な用語を使います)は、1800年には数千人だったが、20世紀の初頭には10万人近くに上っていた。そして、この増加のほとんどが、精神病院への収容である。「19世紀に精神病院がなぜ拡大したのか」という疑問は、精神医療の歴史を研究しているものの間では、さんざん議論されて、まだ決着がついていない問題である。その問題について、歴史学者たちの論争を、学生向けに解説した章である。

基本は、アンドリュー・スカルの一連のテーゼの紹介と、その批判という形式をとっている。「存在の商品化」「不都合な人々」「精神医学者の帝国建設」などのテーゼが紹介され、その不備を、具体的なデータや事例を挙げて説明している。資料の選択も妥当である。

著者は親友なので、日本語だけれども、批判的なことを書かせていただきます。 

正直、イギリスの精神病院の発展だけで、ひとつの章を立てるという判断には、違和感がある。確かに、医学史の中で一番激しい論争が起きた問題の一つであるが、あまりにも狭い問題であり、私たちの間のテクニカルな論争に深入りしすぎて、精神医療の歴史が持っている広がりと豊かさを感じさせない。イギリスへの集中も解せない。 植民地医学の歴史や、福祉国家の歴史の研究において、イギリスに集中することが許されるのとは、はっきりと事情が違う。 イギリスの精神医療も確かに重要だけれども、ドイツをフランスを切り捨てて集中することを正当化する理由は何もない。 精神医学者の帝国建設を論じる一番すぐれた素材はゴールドシュティーンのエスキロール学派の研究だし、フロイトシャルコーもクレペリンもない章が、「1800年から1930年のヨーロッパ」を銘打った書物の精神医療を担当する章であるというのは、まずい。 この書物で、精神医学を扱っている章はこの章しかないということを意識するべきだったと思う。私自身も含めて、「アサイラムの社会史」は、発達した学問のすべての分野と同じように、孤立とトリヴィアライゼーションの危険をはらんでいる。 学問の発達と深化がもつ、マイナスの面が現れた仕事だと思う。 

批判的なことも書いたけれども、この決断を受け入れれば、優れた入門であることは間違いない。