Psychological Subjects


 書評のために20世紀前半のイギリスの心理学の社会史の傑作を読む。文献はThomson, Mathew, Psychological Subjects: Identity, Culture and Health in Twentieth-Century Britain (Oxford: Oxford University Press, 2006). 

 トムソンはイギリスの1911年の精神障害者法の最初の本格的な歴史研究で知られている。彼の新作は前著をはるかに上回る傑作。「心理学の社会史」と呼ぶことができる問題をたてて、そこに幾つかの方法論的なイノヴェーションを導入したことが大きい。一つが、”ism” の歴史を書かなかったこと。ヒプノティズム(催眠術)、スビリチュアリズム(心霊術)、メスメリズム(動物磁気催眠術、とでもいうのかな)・・・異常な心理現象の歴史は、すでに英語圏では歴史学のメインストリームの中で確立された主題である。(心霊術の歴史の本は『イギリス心霊術の歴史』という題名で翻訳もされている。)トムソンはそれらの研究を踏まえて、「そのような心理学的なテクニックを受け入れた社会とはどんな社会なのか」と問うて、研究の視野を一気に広げた。もう一つが、「ブルームズベリーの誘惑」に抵抗し、フロイトたちの精神分析が知的エリートたちに受け入れられた過程を辿るという既存の研究から距離をおいたこと。心理学的自己啓発のための通信講座など、より広い層を対象にした資料が分析されているのが、トムソンの狙いを象徴している。最後が、過去20年ほどのイギリスの心理学の歴史研究を支配してきた、ニコラス・ローズ経由のフーコー流の「規範化」のモデルを明示的に批判したこと。「社会の心理学化」には、上からの規律化と、個人がその規律に自発的に同一化するというモデルとは全く違った重要な側面があることを、トムソンは鮮やかに示している。特に重要なのは、社会の心理学化の背景には、ヴィクトリア時代以来の「キャラクター」概念に基づく、労働者階級たちの自己改善の運動があったという指摘である。
 
 トムソンの書物の表紙は、この事情を見事に象徴している。人間が持つ低級な動物的本性 (animal nature)の足かせをつけられながらも、人間が遺伝 (heredity) から、社会的遺産、教育、経験などを足場にして、崖の上へとよじのぼっていくありさまを描いた1949年の書物の挿絵。