大正の心霊術

必要があって、心霊術というか超心理科学というか、その手の精神科学の歴史の本を読む。(「その手の」精神科学というあたり、自分で、なんと偏見に満ちた書き方なんだろうと反省しています。)文献は、井村宏次『スーパーサイエンス 異形の科学を拓いたサイエンティストたち』(東京:新人物往来社、1992)。実は、同じ著者の別の書物(『霊術家の饗宴』)を読みたかったのだけれども、大学図書館がこの書物を持っていなくて、代わりにこの書物に目を通してみた。

外国の心霊術者と超心理学者たちの短い評伝を集めたものが書物の主体になっていて、その中から、戦前日本の催眠術研究の第一人者の村上辰午郎についての章を読んだ。村上は東京帝大の国史から哲学に転じて心理学と学んだ。同門には念写に入れ込んで東大を追われたことで有名な福来友吉がいる。村上は明治の末から一連の催眠術書を出版して時の人となり、明治30年代の終わりから催眠術は大ブームとなる。しかし、明治41年に催眠術が非合法化されると、催眠術は「霊術」「心理療法」「精神療法」と名乗って新たな隆盛を迎える。その中の一人が「大霊道」を主催した田中守平であった。(本当は、この人物と大霊道について知りたかったのだけれども。)村上は、田中とは一線を画して、より実用的・科学的な「村上式注意術」を開発し、それを全国に広めた。これは、夜尿症を治すだとか精神療法を施すという方向に進んだ。大正期には、霊術、精神療法を含めて三万人の術師が全国にいたという。しかし、村上は、その後の霊術に傾斜していくこの業界の中で、霊術・心理療法から遠ざかったという。