明治から大正期の忍者について書いていることをメモ。
明治から大正期には、霊魂といういろいろな日本の伝統的な手法の検討。心霊学や催眠術がブームとなる。
竹内楠三の三冊のテキスト、小野福平の大日本睡眠術奨励会、桑原俊平の精神研究会、山口三之助の帝国催眠学会などができた。超能力である千里眼、テレパシー、念写、透視などは、福来友吉、田中守平などが活躍した(笑) ナショナリズムとの連接、都市の下層民、農村の崩壊がおきた。西欧型の物質万能主義に対して、より伝統的な精神教育が行われた。
これと並行して忍術ブームが起きた。1911年に始まった立川文明堂、1914年からの真田十勇士などである。ここで伊藤銀月という秋田市生まれで秋田中学を卒業して万朝報の記者となった人物が活躍した。1909年に忍術に関して『忍術と妖術』という書物を書き、極度の忍耐と極度の努力を重視して、忍術はそれを達成するという『巨人の星』のような設定になった(笑)これが、日本帝国の国宝であり、最期の肉弾となった。
すごい話だけれども、たしかに当たっている部分がある。