大正・昭和戦前期の日本で独自の進化論思想を展開して大きな影響力を持った丘浅次郎の著作をいくつか読む。『現代日本思想体系』に入っているものを読んだ。
日本の思想史・文化史研究者のあいだには、「自然観」と称される研究主題がある。「日本人の自然観は~~である」という言い方で、私たちを混乱させることが多い。それを使った説明が上山春平によってされていて、あいまいだけれども重要なポイントをついているから書いておく。
日本では自然物を擬人化するアニミズムの伝統がつよく、梅棹忠夫によれば「進化論というのは人間と動物の間の断絶を克服し、動物の中に秩序を見出したいという努力のあらわれ」であるが、そういう欲求は、日本ではそもそも起らなかったという。(19) 進化論の前提に、生物の形態、習性、分布、生態、古生物などに関する膨大な知識が存在しなければならないが、明治時代の日本にはそのような蓄積がなく、進化論と一緒に基礎とすべき個別的な生物の知識も輸入するという形をとった。特に、日本に進化論を最初に伝えたのがアメリカ人のモースであり、モースはさかんに自然を擬人化する説明をしたので、日本の伝統的な自然の擬人化はますます強められた。
さて、丘の話だが、丘は一高退学、東大を卒業したあと、ドイツ留学などを経て、東京高等師範学校の教授となる。生物学者としての業績もあるが、彼を著名にしたのは1904年出版の「進化論講話」や「生物学講話」(1916)、最新遺伝論(1919)をはじめとする啓蒙書であり、『中央公論』などの総合誌に書いた、生物学の視点に基づいた文明批評であった。
まず、『生物学講話』の最終章「種族の死」が面白い。優れた種族が栄え劣った種族が滅亡するという優勝劣敗の原理は、帝国主義列強がその生存をかけて覇を競い、軍備増強や優生学などを行うときに使われたロジックだが、このロジックを、丘は別の方向に発展させる。
丘は、地球上の人類の間にも優勝劣敗の原理が働いていることは明らかだという。優れた文明を持つものが移住すると劣った民族が滅ぶという現象は、歴史的にも現在にも眼前に展開している。歴史的には、タスマニア島の土人やメキシコのアステカ人はヨーロッパ人に圧倒された。現在では、セイロン島のヴェッタ、フィリピン島のネグリト、ボルネオのダヤック、ニューギニアのパプアなどの各民族が文明人種に圧倒されている。文明諸国の人口増加があふれ出した形の移民が、各地で劣った民族の絶滅をもたらしている。「人種間の競争においては、幾分かでも文明の劣った方は次第に敵の圧迫を受けて苦しい境遇におちいるを免れぬから、自己の種族の維持継続をはかるには、相手に劣らぬだけに智力を高め文明を勧めることが何よりも肝要であろう」(62)
このような優勝劣敗が自然の法則なら、優れたものが全盛を迎えたあとで絶滅していくのもまた自然界で頻繁にみられる現象なのである。三葉虫にしろ恐竜にせよ、全盛期を迎えたあとで絶滅していく。これはなぜだろうと丘は問い、ここからは自分の説だと断ったうえで、興味深い説を展開する。
他の動物や仲間の競争に勝つために、特殊に発達させた能力が、かえって生存に不利となるというのだ。環境がかわり別のタイプの競争相手があらわれると、その種族をして勝利者たらしめた能力がまさしく不利を作り出す元凶となるというのだ。サーベルタイガーの巨大な牙がまさしくそれである。トラ同士で争っていたときには牙が大きく力強ければ強いほど有利であった。その結果、牙が畸形的なほどに発達し、それは生存に不利となる。
人間は、脳と手を用いてほかの動物に対して優勢に立ち、民族間の勝負を決してきた。これを「文明」によって生存を決してきたといってもよい。この「文明」こそが、サーベルタイガーの牙のように、人間の生存に不利になっているのである。衣服は人の皮膚を脆弱にして、少しのことで風邪をひくようになっている。火を用いて加熱した食料ばかり食べるから胃腸が弱くなり胃弱が現代病になる。医学は人造の血清や消化酵素を与えて、種族全体の健康の平均を下げている。競争社会は知力を振り絞らせて人々の精神を疲弊させ、その結果生まれてくる機械社会は、その響きと振動で日夜神経をまいらせてる。神経は過度に鋭敏になり、神経衰弱と精神病が増える。かつては、小さな団体で互いに見知った関係で維持されてていた道徳も、集団の規模が大きくなると目が届かないからと道徳が乱れ、また利己的な人間も増えて、人間が共同生活に向かなくなる。貧富の差の拡大も同じように共同生活に向かない精神を作り上げていく。