腸チフスとモデル疾患


 腸チフスこそ19世紀以降の医学の発展に大きく寄与したモデル疾患であったという論旨の論文を読む。文献はStenvenson, Lloyd G., “Exemplary Disease: The Typhoid Pattern”, Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 38(1982), 159-181.

 「コレラは衛生の母」。明治10年代からのコレラの流行は、日本の公衆衛生の形成に大きな役割を果たしたことは有名である。有名なものに群がるのが好きな日本人の習性なのか、日本の歴史家はコレラに異常なほどの注目をはらってきた。この論文は、19世紀以来の欧米の医学において腸チフスが範例的な病気であったことを、オウセイ・テムキン以来の医学史の手法を使って論じたもの。「不潔」が病気の流行に貢献することが発見されたのも、「健康保菌者」の概念が作られたのも、ヴンダーリヒが体温変化の特徴的なパターンで特定の病気を識別できることに気づいたのも、熱処理で無毒化したワクチンを最初に生産するきっかけを作ったのも、自然治癒力の概念を19世紀の医者たちに根付かせたのも、すべて腸チフスだという。確かに、嵐のようにやってきて、医者としてはなすすべもなく、短期間で膨大な数の患者をなぎたおして去っていくコレラというのは、実は医学や公衆衛生の範例になりにくい病気である。腸チフスは、致死率も低く、大流行にならないかわりに日常的にみかける病気で、病気が継続する期間も長いから、医学や公衆衛生にとってモデル疾患になりやすいという議論は、確かにうなづける。 

 画像は、ヴンダーリヒによる、発疹チフスと腸チフスを区別した体温変化の形。規則的な上下が長期にわたって継続する腸チフスと、体温が上がらない日が挿入される発疹チフス。病原体が発見されていなかった時代は、こうやって病気を区別していた。