コレラの論文を大急ぎで書いている。その関係で、フランス公衆衛生学史の古典的な研究書を読む。文献はColeman, William, Death is a Social Disease: Public Health and Political Economy in Early Industrial France (Madison, Wisconsin: The University of Wisconsin Press, 1982).
貧困と医学の結びつきが19世紀の初期産業社会でどのように問題化されたかを論じたコールマンの古典は、私が好きな本の一冊である。19世紀前半のパリで活躍した医者のヴィレルメを中心に、フランスの疫学・公衆衛生学が、19世紀前半に医学における「貧困」の問題を発見しながらも、社会主義的な問題設定には至らなかった、という内容である。話としては古色蒼然としたマルクス主義の枠組みだけれども、論証の鋭さと話の奥行きが、日本におけるこの学派の医学史・科学史とは雲泥の違いがある。
1832年のパリのコレラ流行に際して、貸家の等級ごとにコレラ死亡者の割合を調べたヴィレルメは、驚愕に値する差を発見する。最も高級なクラス1の貸家においては、コレラの犠牲を出したのは3.9%(102軒中4軒)だったのに対し、低級なクラス5の貸家においては、60.2%(256軒中154軒)に達した。しばらくすると、明治19年の流行までは、あまりプロミネントではなかった<コレラは貧民の病気>という知覚は、明治30年代になると日本でも常識になる。日本でもヴィレルメの調査に類することは、コレラの文脈で行われたのだろうか?されたとしたら、いつ?誰が?なぜ?大事な問題だけど、今回の論文ではそれを調べている時間はない。
画像はフランスのコレラ流行時の風刺画から。コレラ予防用の薬や匂い袋などで満艦飾の女性。