コレラと養生

必要があって江戸から明治にかけての日本の民衆史の古典を読む。文献は、安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』(東京:平凡社ライブラリー、1999)

 今日は少し研究の話をする。

 非西洋諸国の医学に近代化についての論文集への寄稿の依頼があって、日本の医療の近代化が、かなり無理がある険しい道を通ったにもかかわらず、比較的短期間で「成功した」のはなぜなのかという問題を考えている。「無理がある険しい道」というのは、二つの点を念頭に置いている。まず日本は「医制」(明治7年)に代表されるように、西洋医学のみを採用する方針を明確にしたこと。当時の蘭方医は医療者全体の二割程度しかいなかったことを考えると、医師の八割近くの正当性を一瞬にして奪うこの政策は、大胆を通り越して無謀ですらあった。(開業試験を誰も受けなかったら、どうするつもりだったのだろう・・・)もちろん、伝統的な医学を修めた医者たちも開業を継続することを許され、彼らの師弟も無試験で開業を許されるという、これまた大胆で破格の譲歩を行われるのだが、それにしても、その医療のヴィジョンにおいて、これほど明確に、蓄積された伝統と決別して「西洋化」に賭けた国家は少ない。

 もう一つは、明治12年と19年に全国でそれぞれ10万人の死者を出すコレラの大流行があったことである。コレラは多くの犠牲を出しただけではなく、国家が制定した対策は機能していなかった。この対策の一つの柱は隔離病院への収容だったが、この政策は非常に不人気で、明治12年の流行時には人々は暴動すら起こした。正統な医師数を一気に1/5 から1/4 にした政策の直後に、未曾有の疫病の流行があり、それへの対応に激しい抵抗があったのである。この時点では、日本の医療と衛生の近代化の見込みは非常に暗かったといってよい。それが、コレラは1890年以降には総じて押さえ込まれ、日清戦争後の1895年に帰還兵たちが全国に同時にばらまいたコレラ流行は、患者5万人程度に押さえ込まれた。5万人というのは相当な数のように思えるが、当時の衛生関係者たちは、これを「勝利」とみなしていたことは明らかである。ことコレラに関する限り、明治政府の政策は1890年代にはすでに成功モードに入っていた。

 この「成功」の理由は、これまで政府の政策と導入された西洋医学に注目して分析されてきた。詳しくは書かないが、この着眼が少なくとも事態の一部を的確に説明していることはいうまでもない。問題は、政策の側面ではなく人々の行動はどうだったのだろうかということである。流行病への対応は政府の政策だけでは決まらない。人々は流行病に直面して、さまざまなことを自発的に行う。その振る舞い全体を見ると、日本の医療の近代化がよりよく理解できるのではという狙いの論文を大急ぎで書いている。

 その文脈で読んだ本書は、非常に示唆に富むものであった。安丸の書物は、ウェーバーの視点から日本近代の「民衆史」を解釈しようとしたものである。当時の知的エリートが書いたものの分析から導かれたウェーバーのモデルが、「民衆史」にとって適切な道具かどうかという問題はあるが、私の問題を考える上では非常に助けになった。

 幕府が公式の哲学として採用した朱子学とは大きく異った中国由来の思想が18世紀から興隆し、被支配層に広まっていく。三都を中心とする大都市の町人層には石田梅岩の心学が受け入れられ、資本主義と商業活動につきものの人生の浮き沈みに対して、倹約や勤勉などの人生態度で処することが身を守り家や「のれん」を存続させる方法であると説かれた。農民層においては、18・19世紀から、同じく倹約と勤勉に基づく道徳改善が農村の貧困に対処する方法であると説く二宮尊徳などの説が受け入れられた。重要なのは、個人の禁欲に基づく人生態度こそが、現世での成功と幸福を保証するという行動規範が、江戸時代に広く受け入れられていたことである。この欲望を制御して幸福になるというモデルこそ、江戸時代に広く受け入れられた養生論の根幹をなす哲学であった。江戸時代につながる明治の人々は、より長期の利得のために短期的な欲望を制御することを受け入れていたのである。

 この欲望の制御の思想こそ「養生」に他ならない。この「養生モデル」こそが、明治の国家、そして国家と人々を媒介した比較的知識がある層が、コレラ対策の大きな柱とした思想であった。国家のコレラ予防法には必ず養生モデルに基づいた教えが含まれ、消化の悪い食べ物を食べないこと、体を冷やさないこと、暴飲暴食しないことなどが説かれていた。民衆レヴェルでは、養生の伝統から発する予防法の意義はいっそう大きかった。この養生モデルは、摩擦や反対を引き起こすことが多かった「隔離モデル」とは違って長い伝統に根ざしていて、人々に受け入れられやすいものであり、「隔離モデル」が引き起こした混乱に対する緩衝的な役割を果たした。