19世紀から20世紀の実験室医学の興隆についての研究論文を読む。Sturdy, Steven and Roger Cooter, “Science, Scientific Management, and the Transformation of Medicine in Britain, 1870-1950”, History of Science, 36(1998), 421-466.
「科学」が何を意味するかはさておき、19世紀から20世紀にかけて医学が科学になったときに、決定的な役割を果たしたのは、患者がいない空間における医者たちの営みであった。太古の昔から存在する生身の患者を相手にする臨床医学に対して、19世紀から急速に興隆したのが、人体から得られた組織や細胞などを相手にする実験室医学(laboratory medicine)と呼ばれる一連の研究であった。この現象がこの時期に起きたことは医学史研究者の誰もが認めている。しかし、<なぜ>実験室医学は興隆したのか?という問いになると、医学史家たちの考えは大きく異なる。「実験室医学は医療を改善したから」という答えは、現在から見るといかにももっともらしいが、当時は実験室医学のメリットは疑わしかった。当時の基礎医学の臨床への還元は極めて少なかったのである。もう一つの説として、実験室医学が用いた客観性などのレトリックが、当時のエリートたちに受け入れられたからという答えがある。この説は、科学のカルスタ系の論者には人気があるのかもしれないが、問題のコアを説明していない。科学が社会に向けたレトリックの性格を持つことは否定しないが、実験室科学のコアはレトリックとPRから成り立ってはいないことは明白である。それはある現実を操作するテクノロジーであった。それなら何が実験室医学を興隆させたのかという問いに答えようとしたのがこの論文である。
論者たちの論点は明確すぎるほど明確である。医療の組織化が、医学に実験室医学を持ち込んだのだという。この時代に、イギリスの医療の構成は大きく変化した。かつての、ソロの開業医が患者と一対一で向かい合うことを基調にした医療の構造から、さまざまな専門家から構成される組織(保険医を束ねる医療組合や病院など)が医療を構成するようになった。必要とされたのは、新たに組織的な営みとなった臨床にふさわしい医学のツールであり、その組織を効率的に運営するべきであるという、ビジネスと行政の双方からの期待に応えられる医学の新しい形であった。実験室医学は、診断のカテゴリー化と治療の標準化という点で、この期待に応えた。いやむしろ、医療の組織化に応えようという意図が、実験室医学の発展を方向付けてきたとスターディとクーターは結論する。
この説明の大きなメリットは、「カテゴリー化と標準化」に注目することで、実験室医学のコアであるを見失うことなく、なおかつ実験室医学の興隆を社会的な状況に結び付けることに成功していることである。20世紀の医療を論ずる時の必読文献である。