病人役割の閾値

 必要があって、1960年代のアメリカで行われた健康行動調査の報告を読む。文献はPetroni, Frank A., “Social Class, Family Size and the Sick Role”, Journal of Marriage and the Family, 31(1969), 728-735.

 病人役割(sick role って、こう訳したんですね~!)という概念は、タルコット・パーソンズ以来医療の社会学の中心概念の一つである。人間が自分の身体や精神の不調に直面したとき、「患者」という一つの社会役割を引き受けるかどうかの決断をする。「患者」になることを選択すると、通常の義務から解放される代わりに、さまざまな制限を課せられ新たな義務も発生する。私は社会学者ではないけれども、医療社会学の授業だと最初に教える概念だろうから、たぶん多くの学生が今週か先週の授業で習ったはずである。私はまさに今日の授業で教えた(笑)。 

 Sick role の閾値が、個人によって、あるいは社会的な要因によって変わってくるということは容易に想像がつく。ちょっとした不調ですぐに休みをとる人もいれば、39度の熱を押して出社する人もいるだろう。前者を閾値が低いといい、後者を閾値が高いという。この閾値は、年齢、性別、社会階層などによっても変わってきそうである。しかし、これらの変数とsick role の閾値の相関は、考えるのがうんざりするくらい錯綜を極めている。例えば富裕層と貧困層とを較べたときに、どちらの方が軽い症状で自分は病気だと知覚すると思うかと学生に聞くと、殆どの学生が、前者のほうだという。富裕層の方が自分の身体の変化に敏感だからというのがその理由らしい。しかし、富裕層と貧困層でどちらが他人に依存する状態を受け入れやすいと思うかと聞くと、これは後者だという意見が圧倒的多数を占める。Sick role を受け入れるということは、「他人に依存するという決断を主体的に行う」という矛盾を内在させているのである。この論文も、それまで富裕層の方がsick role の閾値が低いという調査結果の解釈が多かったのに対し、それと正反対の調査結果を報告している。Sick role という概念の複雑性に気づきながら、単純な社会調査と統計的な手法に頼らなければならないもどかしさが伝わってくる。

 ふと気がついたことを。この1960年代のアメリカで行われた健康調査の目的の一つは、sick role の閾値を適度に下げて、人々の健康意識を高めて、慢性病の早期発見のために人々の受療行動を活発にする道筋をつけることだった。私が調べている昭和13年の健康調査の目的と全く違って新鮮だった。