老婆と医学



必要があって、老婆と医学についての論文を読む。文献は、Pelling, Margaret, “Throughly Resented?: Older Women and the Medical Role in Early Modern London”, in Lynette Hunter and Sarah Hutton eds., Women, Science and Medicine, 1500-1700: Mothers and Sisters of the Royal Society (Stroud: Sutton, 1997), 63-88.

 ステレオタイプとアクチュアリティの違いというのは、ポストモダニズムを比較的誠実に受け止めようとしている歴史学者たちにとっては頭が痛い問題である。自分が読んでいる史料は、誰かが頭の中で作り出したステレオタイプなのか、それとも現実が映されているのか。ある程度は現実が映されているとしたら、どの程度映されているのか。こればっかりは、そのタイプの史料の「くせ」をどこまで広く深く知っているかという経験と直観から判断するしかないというのが、私の正直な感想である。

この論文は、その問題に軽く触れている論考。17世紀オランダの日常生活を描いたジャンル絵画から、老婆と医学についてのステレオタイプを析出する一方で、16-17世紀のロンドンの非正規治療者の訴追の記録から現実の老婆たちを析出する。一昔前の医学史の院生だったら、絵画に描かれたステレオタイプの老女と、裁判記録に現れる老女はこんなに異なるということを強調してハナマルを貰っていただろうけれども、今ではマルしか貰えない(笑)。ペリングも、ステレオタイプと現実がなぜ一致していたのか、という問題の周りを回っている。

オランダの風俗画は現実をリアルな手法で描くと同時に、道徳の劇場における人物類型を描くものでもあった。そこには医療の場も頻繁に描かれているが、これらの医療系絵画に登場する老女たち、とくに医者と若い女性と一緒に描かれた老女たちは、『ロミオとジュリエット』のジュリエットの乳母のようなタイプに描かれている。物知り顔で、自分の意見に自信を持ち、どこにでも顔を出してその意見を披瀝する。今の日本の愛すべきオバサンの類型とそんなに違わない(笑)。

 一方、ロンドンの王立内科医協会は「かなりの数の」老女たちを、非正規の治療者として訴追している。しかし、この老女たちの中には、なかなか屈服しない。顧客であった貴族や紳士などのつてを頼んで、半ば公然と非正規医療を繰り返している。あるいは調査されると自分の治療法は間違いなく効くと自信を持って堂々と主張する。

 すなわち裁判記録から現れる治療する老婆の像と、風俗画の描く老婆の像は、そんなに変わらない部分もある。 これは、風俗画が現実をある程度描いているということはもちろんだが、裁判の訴追も、ある先入観を持って訴追する相手を選んで行われた結果であるという事情も働いている。当たり前のことだが、裁判記録も、あるステレオタイプの産物なのである。 

画像は、ヤン・スティーン (Jan Steen) 描く、医者が恋の病に悩む若い娘を訪問するという風俗画の一つ。 恋をして輝くような魅力を発している娘さんのほうではなく、乳母のほうに注目してください(笑)。