衛生的人間(ホモ・ヒジエニクス)

ドイツ近代を例にとって「衛生的人間」(ホモ・ヒジェニクス)の成立を論じた論文を読む。文献は、Labisch, Alfons, “Doctors, Workers and the Scientific Cosmology of the Industrial World: The Social Construction of 'Health' and the 'Homo Hygienicus'” Journal of Modern History, 20(1985), 599-615. 筆者はドイツ近代の医学史研究の第一人者の一人で、市野川容孝や川越修などの仕事を通じて日本でも比較的よく知られている。

工業化の過程で都市に発生した地方出身の移民労働者に対する憂慮と関心が近代の医療体制を形成する決定的な役割を果たしたという議論である。移民労働者たちの健康を確保して労働力を再生産せしめることが必要になったブルジョワジーたちは、労働者たちを「衛生的人間」に作り変えることを目指した。それは、健康を第一義の目標として、合理的な計算に基づいて生活や精神や欲望をその目標の実現に向けてコントロールする人間であった。そのためには労働者が正しい医学の恩恵に浴することができるような保険を整備する必要があったが、ビスマルク社会保障政策がこれを実現した。さらに重要なポイントは、労働者階級たちがこれを受け入れたということであった。

この論文ではラービッシュは説明していないけれども、細菌学は伝統的な医学の道徳的コスモロジーを破壊する危険な学説であったという指摘が何回かされている。これは、ペリングやローゼンバーグもしている重要な指摘である。特に日本のカルスタ系の医学史では、細菌学が「清潔と不潔」「自己と他者」の二元論的な秩序に貢献したことが強調される傾向があって、それはもちろん事実のある面を捉えていると思うけれども、細菌学というのは当時の文脈で言うと非常に「パンクな」医学理論でし、それが受け入れられるためには、他の病気のモデルにかなり助けられたと私は考えている。ラービッシュが細菌学についてどこかで詳細に論じていないかしら。