戦国時代のマラリア

奈良時代以降のマラリアの情報が本格的に必要になって、服部敏良『室町・安土桃山時代医学史の研究』(京都:思文閣、1971)を読む。

同業者はよく知っていると思うけど、服部は、奈良時代から江戸時代までの医学史に関して、それぞれの時代ごとに一冊ずつ、合計5冊の書物を書いている碩学である。日本医学史の碩学といえば富士川游が有名だけれども、服部も引けを取らない。特に富士川が組織的には用いなかった医療者の診療録や一般人の日記から病気にあったときの記述を抜き出して資料とする手法は、昨今の「患者の歴史」「医療の歴史」を先取りしている。その中でも、室町から戦国・安土桃山時代を扱った同書は、服部の真骨頂を示しているものといってもよい。

たとえば、三条西実隆という貴族の日記から彼自身の病気を抜き出した中に、文亀元年(1501年)、実隆が47歳のときの閏6月に、彼が「瘧」(おこり)を煩った記録がある。
「6月17日 瘧病の気あり、薬服用」、「6月18日 酉の刻瘧病出現 終夜悩乱」という記述で始まり、6月19日には、病気は16日から始まっていて、今日以外の日には酉を半刻すぎたあとに病気が起こったと記している。それから6月中はほとんど毎日のように夜に発熱したむねの記述があり、7月1日には晩鐘の後に病気が萌えてきたが、やや平減の体であると記されている。それから、「瘧は今夜は不発であった」というような記述が目立つ。8月1日には「瘧病の気あり、再発かと疑う」と記されているが、8月5日(同書では7月5日と記されているが、これは8月の誤りであろう)には、瘧気不発、と記されている。 このエピソードを含めて、「瘧」が記されているのは、1475年8月、1486年4月、1524年9月という春から夏のシーズンであることも、たぶん意味があるのかもしれない。

しかし、この日記を使った室町時代のマラリアの歴史疫学を本気にやりだすと、これは、到底私の手に負えない。たぶん、マラリアなしには日本中世の疾病史の概説は書けないといってもいいほど大事な主題なんだけど、困ったな。