津軽の疫病史


必要があって江戸時代以降の津軽の疫病の歴史を克明に調べた論文を読む。文献は松木明・松木明知『津軽の医史』『続津軽の医史』(弘前:津軽書房、1971, 1975)

「地方史」「郷土史」のジャンルで発表されているので必ずしも広くは注目されてはいないが、日本の江戸時代の疾病の歴史を研究するには必読の文献である。日本の疾病の歴史研究が、京都や機内や江戸といった文化と制度の中心、あるいは長崎などの海外からの流行病の侵入口で観察された記述に重きを置いているのは仕方がない。しかし、それだけでは「日本の疾病史」は分からない。地方部、特に当時の日本の末端といってよい津軽でどのような流行があったかを調べることは、感染症の伝播のシステムを考える上で、最高度に重要である。それは、いったいどこまでが日本の感染症の「中心」に近い「近傍」であり、どこから「周縁」が始まるのかを考えるという、疾病地理学のモデル構築の鍵を握る。この手の仕事は、「どこまで拾っているのか?遺漏はないか?」ということがデータの価値を決める重要な要件になり、もちろん100%拾っていることなどありえないし、完全主義者から見ると色々文句もあるのかもしれないけれども、著者の緻密な仕事には業界でも定評があり、少なくとも私などが云々すべき理由は見当たらない。それどころか、彼が作成した表を見ると、江戸よりも津軽のほうが頻繁に流行病があったりして、拾いすぎですらあるかもしれない(笑) 上掲はそれとは別の表だけれども、多くの流行病について、長崎-京都・大阪-江戸-津軽という流行の経路がくっきりと見える。 ただ、上方から日本海を回る回路でもたらされる流行病もあったそうで、これは明治19年の青森のコレラの流行もそうだった。