『スキャナー・ダークリー』

出張の移動時間中にフィリップ・K・ディックスキャナー・ダークリー』を読む。浅倉久志の新訳がハヤカワ書房から出ている。

1977年に出版された小説で、おとり麻薬捜査官が自ら麻薬中毒になって脳と精神が蝕まれて廃人になる(「燃え尽きる」という言葉が使われている)さまを描いた傑作。おとり捜査官(「フレッド」)が、自分がなりすましている麻薬中毒者(「ボブ・アークター」)を見張る仕事を命じられるという着想がなにより素晴らしい。アークターの家に仕掛けられたビデオが投影するホログラムの中で展開するアークターとその同居人の生活を観察するフレッドは、まるで他人事のようにその意味がわからず困惑する。麻薬に蝕まれた精神は、その人物に関してありえない妄想をつむぎだし、ふと「ここに写されているのは自分のはずだ」と我に帰っても、問題は何も解決しない。メビウスの帯に描かれたエッシャーの絵の中で自分探しをするときのようなめまいというのかな。また、全体にちりばめられたアシッドなジョークもセンスがよくて、人格が崩壊するときにヒステリカルな笑いを誘う安っぽくて下品で悲劇性があるジョークとしての迫真性がある。ディックがこの作品を書いたのは、彼自身が麻薬にはまったあとだそうで、納得できた。

少しだけ余分なことを。私は若い頃は深酒をして酔うことが時々あって、その時の「寄った感じ」を発展させて描きこむと、この小説のような感じかなと思った。うまく説明できないんだけど、酔っ払った自分がいて、それを観察する自分も寄っているので、この二つの酔った自分の中で無限のループが起きて、そのループが渦巻きのようにジュウッと吸い込まれている感じがしたのを思い出した。