必要があって、19世紀後半のカリフォルニアの医者たちが、当地に移住してきた人間の健康について論じたことを分析した論文を読む。文献は、Nash, Linda, “Finishing Nature: Harmonizing Bodies and Envrironments in Late Nineteenth-Century California”, Environmental History, 8(2003), 25-52. この著者の名前はしばらく前から耳にする機会があったけれども、実際に仕事を読んだのは初めて。噂どおり、卓抜な着想と、一気に世界が広がるような優れた論文で、すぐに彼女の最新刊の書物を注文した。
欧米文化、特にアメリカの文化は、<自然>を収奪し支配する文化であるというステレオタイプは根強い。アメリカの中でも、特にカリフォルニアにただよう、人工性というか作り物のような不思議な感じは、それが自然に対する文明の勝利の一つの典型であるかのように思い勝ちである。(はい、私はそんな風に思っていました。不明を恥じます。)この論文は、カリフォルニアへの移民がゴールドラッシュとともに始まった19世紀後半から20世紀初頭にかけての気候医学・環境医学と呼べるものの歴史研究を通じて、この見方が著しく単純化しているものであることを示している。
当時の医学においては、<風景>landscape は、身体に大きな影響を与えるものとして捉えられていた。一方、一般の人々も、移住した先の土地の気候や風土が自分の身体に合わないのではないかという不安を感じていた。人間の身体は、すんでいる土地の風土に「開かれている」ものだと考えられ、風景と身体を一体化して考えるのが、専門家にとっても一般人にとっても、一つのパラダイムになっていた。
カリフォルニアに移民したものたちは、二重の意味で、身体の脆弱性を感じていた。その気候は地上の楽園を謳った宣伝文句とはかなり開きがあった。アメリカ東部の気候とは大きく違うもので、特に中央峡谷地帯は熱帯気候であった。異なった気候のもとに移住すると、人体はバランスを狂わせて病気になりやすいというのは当時の常識であった。もう一つ、彼らを不安にしたのは、急ピッチで進められていたカリフォルニアの原風景の改変であった。鉱山が掘られ、農園が開かれ、灌漑の水路が掘られるたびに、彼らを取り巻く環境は大きく変わった。この環境の変化は、最終的には人間の身体へと反映されるものであった。特に、女性の身体は、男性の身体に較べて、より「浸透可能な」ものであると理解されていた。女性の生殖能力は植民に不可欠だから、カリフォルニアの異なった気候と、その急速に変化する環境は、身体、それも特に女性の身体を通じて、移民たちの成功を左右するものだという不安があった。
こういった健康不安に対して、環境医学(当時の言葉で言うと、医学地理学などという)などの知見も借りて医者たちが唱えたのは、「自然に従い、自然を扶けよ」ということである。身体は自然の一部であるから、身体を健康にしたければ、<その地の>自然環境に従い、それを扶けるのがよい。ここでポイントは、「自然を扶ける」ということである。これは、自然を絶対的な権威として従うのではなく、自然に欠けているものを補うということである。これは「自然(あるいは神)が意図したけれども、まだ完成していない計画を、人間が助けて完成させる」ということであるといってもよい。これは、自然には一切手を付けるなという原理主義でもなく、自然を支配して自由に改変してよいという他方の極にある思想でもない、その中間にスペースを作り出した知的な仕掛けである。
私の想像だけど、「自然を完成させる」というのは、あいまいでフレキシブルで使いやすい概念だと思う。熱が出たときに冷やすことは、まさに自然がしていることを助け完成する行為である。同じように、近くの川から水をひいて灌漑してアヴォカドか何かを植えることも、自然を完成することだろう。(神は、川と水とアヴォカドの木を、そこに置いたのだから。)