必要があって、初期近代のイギリスの企業について論じた本をチェックする。文献は、ジョオン・サースク『消費社会の誕生 近世イギリスの新企業』三好洋子訳(東京:東京大学出版会、1984)
16世紀の半ば、具体的にはエリザベスの治世のころから、イギリスで「企業」が現れてくる。穀物や毛織物などの基幹産業ではなく、真鍮のつぼだとか、縞くつ下だとか、あみ帽子だとか、ピンだとか、そういうったぜいたく品も日用品も含んで、細工や加工が必要なものをつくる産業である。これらがはじまった当時は、イングランドはこのような製品を自国で生産することができずに外国から輸入していた。その原料の価値はとるにたらず、価格のほとんどを手間賃が占める「つまらない品物」を外国から輸入していて、イギリスの貴重な銀が流出しているという貿易収支のあり方に、当時のイギリスの知識人や財政家たちは苛立ちを感じており、それを防ぐために国産化する方法を模索していた。エリザベスの大臣のセシルは、外国の発明家を呼んで特許を与えるという方法をとって、国内で新しい「企業」を作って、小規模な生産を行うことをはじめた。17世紀には、この小さな産業群は人々の注目を集め、18世紀にはアダム・スミスが分業を説明するときに「ピン生産」の実例を使うほど、存在感があるものになる。この「つまらぬ品物」の生産が盛んになっていくのは、貴族やジェントリだけでなく、農民・労働者・使用人を包括する「消費社会」が立ち上がっていく過程である。
私が欲しかったのは、そういう経済史の説明ではなくて、初期の特許を受けた企業はどんなものかという情報。特許は、「企業家がかれらが真実に開拓し、発明したある特別の方法によって、商品を製造する独占権を付与するものであった。」最初の特許は、1561年、スペインのカスティリア石けんをイギリスで製造する企業に対して出された。これは、当時の上流婦人がなしで済ませられないぜいたく品で、イギリスの石けんは「ぶちがある」ものであったという。同年の1561年には、第二の特許として、硝石を製造するオランダ人に。1562年には第三の特許が明礬製造である。 一言でいって、化学工業ということだった。 やっぱり。