エミール・マール『ヨーロッパのキリスト教美術 : 12世紀から18世紀まで』上・下巻、柳宗玄・荒木成子訳(東京:岩波書店, 1995)
フランスの偉大な美術史家のエミール・マールが、19世紀末から1930年代にかけて執筆した4冊の書物をもとにして、そこから精髄を選んで時代順に配列して1945年に出版した書物が原著である。現在から100年以上も前の記述も含んでいることになり、イギリスとドイツの美術に対する評価には、帝国主義競争と第一次世界大戦の時期にふさわしい、敵意が底にあるステレオタイプを感じることは事実であるが、それでも非常に読みごたえがある傑作だと思う。
研究や教育に特に益するのは下巻の「死の舞踏」の節と「『往生術』―アルス・モリエンディ」の節だった。アリエスをはじめ色々な研究書で何度も読んでいる主題だが、鮮明に書かれていてとても分かりやすかった。パリのイノサン墓地に描かれた「死の舞踏」の分析では、私がこれまで恥ずかしながら意識したことがなかった解釈が示されていた。普通は、骸骨で現された擬人化された「死」が、踊りながら、様々な身分階層職業の生者を墓に導いていくと言われるが、この骸骨と見えるものは、実際に墓で観察されるひからびた屍であり、ミイラ化した身体である。(だからこそ)、これは生者の分身であり、生者がやがてなろうとするものの姿を描いているのである。人生の華の瞬間においてもミイラ化は進行しており、将来の自分の屍が現在の自分を導いていくという構図であるという。『往生術』の分析も、ざっくりした意味の記述ではなく、版画を合計で8枚、一枚ずつ説明して臨終の場面が順に進行するありさまを説明してくれるのでありがたい。中世史や美術史のプロはぱっと見ればわかるのだろうが、私にはこのくらいの丁寧な説明があったほうがいい。
かつてのフランスとヨーロッパには名家の人物の墓が数多くあった。一つの理由は、一人の人物がいくつもの墓を持ったからである。遺体を三分して、身体は先祖の墓の近くに、心臓はある教会に、他の臓器[って具体的には何?]は別の修道院に、というような埋葬はきわめて一般的であった。しかし、フランス革命はこれを破壊した。外国から侵攻した敵軍と闘うために、市町村の役場に命じて、名家の地下埋葬所を開いて鉛の柩を引き出して銃弾が製造された。「硝石も墓の中に求めた」とあるのは、火薬用の燐が遺体や墓の土から取られたということだろう。